エッセンシャル思考は戦略思考 決断に疲れたら
Vital few.
皆さんこんにちは! 出張中のKusunoko-CIです。
今回、国内出張で移動距離等々、大したことないんですが、めっちゃ疲れている自分に気づきました。
年か?
はいその通りなんですが、それだと話が続かないので。今回はそこではなくて、たぶん決断疲れにあるのかもしれないと、その辺のところを考察してみました。
現代人の皆さん、この決断疲れ、結構侮れないですよ!
決断疲れ
これ、もう多くの方がどこかで耳にしたことのある言葉だと思うのですが。
みんなにやさしいWikiさんによりますと、
意思決定 と 心理学 の分野において 決断疲れ(判断疲れ、決定疲れ)とは、意思決定を長時間繰り返した後に個人の決定の質が低下する現象を指す
ということです。
いやほんとにね、いい加減疲れてくるんですわ。
仕事や家族の事ってのは、割と優先順位の高い決断です。でもそれ以外に決断を迫ることの、多いこと多いこと。
もちろん、その原因の大きな部分を占めるのが、インターネットとスマホであるのは、皆さんももう気づいていますよね。
どこのページ開いても広告。
しかも、自分が開いたり調べたりしている過去の情報がもとになって出てくる広告ですから、意外と興味があったりする。
そうするとついぽちっと広告を踏んで、気が付いたらなんか買っていたり。
買わないまでも、結構な時間をここからそこへ、あそこから彼方へとネットサーフィンについやしてしまったり。
与えられた1日という時間は、有史以来同じ24時間なのに、我々が受け取る情報は、いったい何倍になってるんですかね?
「現代人が1日に触れる情報量は、江戸時代の一生分に値する」
とかって情報を見つけましたが、出展が明らかではないです。
根拠あるのかどうか、ちょっとわかりません。根拠なしでよく記事書くよなぁ。
何(十)年も前の新聞広告で、「一曲に含まれる音符の数が、時代を追うにつれてどんどん増えていく」、というのを読んだ記憶がありまして。それを見つけたかったのですが。残念ながら発見できませんでした。
これ結構面白い話だと思うんですけど、もし知っている方いたら、ぜひ教えてほしいですね。
ともあれ、我々が一日に触れる情報が、飛躍的に増えていることは確かですよね。
Kusunoko-CIが学生の頃、まだネットはないです(笑)。
論文を書くのには、図書館に行かなくてはいけない。
当然本はいっぱいあります。
当時アメリカ史とか専攻していたんですけそど、アメリカ関係の本は結構書架に豊富に取り揃えてありました。
豊富であるから困るわけです。「何から読んだらいいの?」と。
時間は有限です。全部読むわけには、当たり前ですが、いかない。
そこで、タイトル、次に目次を見て、これがいけそうとあたりを付けたら、その辺を読む。
読んでそこに欲しい情報があればOK。なければまた同じ作業の繰り返し。
延々と。
もちろん物理的な「本」なので、検索機能[Control+F]で単語検索ができるはずもありません。
なので読むに当たりそれなりに取捨選択する必要がある。試行錯誤で、「これは当たり」みたいなセンスも磨かれていったり。
古き良き時代でした、とかいうつもりは全くありません。今のほうが断然いいです。
私北海道の片田舎の大学で、卒業論文用の欲しい本を探していました。で、絶版らしく、出版社に直接問い合わせました。そしたら電話口で「神保町の○○書店(古書店)とか行ってみたら、もしかしたらあるかもしれませんね」とか、そういう答えでした。
紙媒体でしか情報がないというのは、情報の共有とかそういう点ではdisadvantageしかなかったです。北海道の田舎もんには、当時神保町がどんな場所かもわかりませんでしたしね。
エッセンシャル思考
そこで、ふっと手に取った、ちょっと前に流行った「エッセンシャル思考」が今面白いです。
これに関する見解は、(この今という時代を象徴するかのように)、「エッセンシャル思考 まとめ」だの「エッセンシャル思考 書評」だのと検索すれば死ぬほど出てくるんで、そこには触れません。
ただ読んでいて思ったのは、
- 情報の5Sをする
- 戦略とは何をやらないかを決めることだ
- Vision(軸)が必須
我々がとるべき行動は主に以上の3つかなと思います。
5S
これは言うまでもないです。「要るもの、要らないもの」を分ける、カイゼンの基本。
あなたにとって本質的に何が必要ですか? そこをきちんと把握できていますか?
いらないと決めたら、あとは楽です。いらない情報は何であれ、要らないのです。「そもそも見ない、オファーが来ても断る」が基本姿勢であり、その見極めのために軸と、少しじっくり考える時間が必要です。Noという勇気!
戦略とは何をやらないかを決めること
これも目新しい話ではない。
「戦略とは何をやらないかを決めること」です。
世の中には、ありとあらゆる「有益な」情報が今や、どこでも誰でもいつでも手に入る時代になりました。
しかしながら、軸なき情報検索ほど危険なものはない。
軸がないと、すなわちあっちへふらふら、こっちへふらふら。東に有益だと聞けば、(スマホが)飛んでいって話を聞き、西に金になると言われれば、(クリックして)貪欲に情報収集。
カイゼンの世界では、「パレート図」を使って、本当に効きそうなところを優先的に解決することで、戦力の分散を防ぐ、いわゆる80・20ルールなどが存在します。
何をやらないかを決める。やれることは山ほどあります。ただそれが有益かどうかは、また別問題。戦略思考。
Vision(軸)が必須
いずれ情報を集めるにせよ、軸はとても重要です。
それはまさしく、あなた自身のVisionであります。
大きなものへ貢献するという気持ち、それは崇高なもの。他人が思わず、「そういうことなら協力したい」と思ってくれるような。
でも別に空虚なところから、いきなり生みだされるものではなく。
アドラー心理学では、
- 自分ができること
- 自分がやりたいと思えること
- そして社会的に望まれること
の3つ円に囲まれた部分に生まれるもの。
NLPでは、
- 自分が克服したこと(弱さや、人より劣っていたこと、あるいは痛みを感じ、かつなんとか乗り越えた経験のあること)
- そして今まさにそうした分野で苦しみ、痛みを感じている人たちに寄り添い、サポートしていけるような内容で、
- 我々が腹の底からやりたいと感じられること
こういう3要素を満たすもの。
いずれにせよ、自分の価値感が、自分との対話がしっかり見据えられていて初めて持てるもの。
それがあるからこそ、Missionとして、具体的に何をやっていくのかが明白になってくる。
ちなみにこの辺のVisionなんかの解釈は、紹介しているエッセンシャル思考のグレッグ・マキューンさんとは意見が少し違いますのでご注意ください。
情報過多の時代 疲れる
かように、情報過多の時代に生きるのは、とても大変なことです。
自分をしっかり持ち、何をやらないかを決め、それに従って情報を得ないように心がけていくのです。
昔は、図書館のように情報は取りに行くものだった。今は好むと好まざるとにかかわらず、情報はあなたのところにやってきます。
招かれざる訪問客を、いちいち居間にあげて歓待しなくていいのです。我々は軒先で「NO」という権利がある。
むしろNoと言わなければ、彼らはずけずけと大事なところにまで侵入して、我々の重要なものまで破壊していきます。まるで安部公房の戯曲『友達』に出てきた招かれざる客みたいに。あれ狂気を感じるんで、一度読んでみるといいですよ。現代の情報ってああいう感じです。善意の狂気。
「そんな大げさな」、と破壊なんかしないと思っているでしょ?
- SNSでイライラしてしまえば、そのことによって失われるものがある。
- SNSで「勝つために」、取った行動は、あなたの本当に大切なことに貢献するものであったのか。
- あれもこれも「大事である」というお勧めに惑わされて、この何より貴重な時間をなんだか意味の分からない勉強や努力に費やすことが、果たして未来につながるのか。
数えていけば、いくらでも見つけることができます。
カイゼンの世界では「Vital few」という言葉があります。経営やそのカイゼンにもっとも重要な影響を与える少数要素という意味です。ちなみにこの反対が「trivial many」、些細な大多数の事柄です。
人生の時間は限られています。我々現代人は、「何をやるかではなく、何をやらないか」を考えなくてはいけない時代に生きているのです。
まとめ
いかがでしたでしょうか、「決断疲れ」。
結局のところ我々は、情報過多の時代にいわゆる「trivial many」というどうでもいい些細なことに踊らされています。
テレビしかり、ネットしかり、情報発信者は何かの意図があってその情報を発信しています。
多くの場合は、何かを彼らにもたらすからです。
出版に携わる人は、出版がどうでもいいこととは、決して言いません。
You Tuberは、それが唯一の金もうけと謳うでしょう。
カイゼン屋さんは、カイゼンの重要性を一生懸命説きます(笑)。
意図的に、決断を減らす工夫をすること=情報の過剰流入を防ぐこと。これは現代を生きる上での知恵です。
今回読んだエッセンシャル思考は、戦略的なものの考え方としても、とても面白いです。
Kusunoko-CIですか? そりゃもうこんな記事書いてるくらいですから、情報に振り回されて、決断に疲れてしまいました。
心新たに、大事なことだけ追うことにします。時間も限られてるんで。