未来志向:人生のちょっと先を考えるには
Future oriented: How to think a bit future of our life.
皆さん、こんにちは。最近ちょっと睡眠負債がたまってきた感じのKusunoko-CIです。皆さんはよく眠れていますか? なかなか7時間の睡眠をキープするのも至難の業ですよね。
実はこのブログも、今回の記事でなんと100回を数えることになりました!。ようやく何とかここまで、という感じすね。これもひとえに、読んでくださる皆さんのおかげでございます!! ありがとうございます!
たまにいただく、読んでるよというメッセージ、大変うれしく思っております。これからも皆さんの心や暮らし、キャリアに何か少しでもプラスになるような情報をお届けできるよう頑張ってまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
さて、そんな記念すべき第100回、何のテーマにしようかいろいろ考えたのですが、今回は「心と身体と”私“」の時間軸に関しての私見をまとめてみることにしました。
心と身体と”私“
まず、これについてもう一度説明しておこうと思うのすが、NLPでは心を私と一緒くたに考えません。原始仏教でもそうですね。
以前の記事からの抜粋ですが、
みなさんも、どこかで学んだことがあるかもしれませんが、この我々の外側で発生する出来事(他者からの言動含む)は、無色透明です。事象そのものには意味はないです。それに対して、意味付けを行い、反応していくのが我々の心。
このNLPでは、その反応を決める心を、
ー習慣・知識
ー価値観・信念
ー記憶・言語
ー人格
ーメタファー
と階層にして捉えていきます。
実際には、五感で感じている知覚レベルが一番下に位置しているわけですが、起きた出来事に対して、どう反応するのかのある一定のプログラムを持っているのが我々の心です。
そしてこのプログラムというのが、過去に起こった出来事や、教え込まれた・刷り込まれた・あるいは経験したというデータの蓄積によって構築されているものです。
記憶回路
脳は、残念ながら、成功体験はあまり覚えていません。
なぜか。
それは「失敗したこと」というのは、自分を守るために、二度とその間違いをしないためにとても重要なデータだからです。
我々の脳が最優先事項としている「生存」。この目的のために、嫌な(不快な)気持ちを持った出来事は、長期のデータとして保存されやすい。
では、その自分の中にある快・不快を決めている判断基準はなんでしょうか? そうです。
- 習慣・知識
- 価値観・信念
- 記憶・言語
- 人格
- メタファー
主にこれらです。
いろんな習慣、知識、価値観、信念、以前の記憶、言語的制約、構築された人格、抽象概念から、我々は出来事を「快・不快」に分類わけして、反応します。そしてもちろん出てきた反応が「不快」なものなら、なおのこと二度とそれが起きないようにデータに書き込んでいこうとします。
優先して記憶するのです。
大人になって、いろいろなことができなくなってしまう、というのはまさに自分の中にある判断基準、そしてデータベースが拡充してきているからと言えるでしょう。
もうお分かりかもしれませんが、我々の心というのは、人生で蓄積してきた過去のデータベースそのものと、そこへのアクセスというアクションによって成立している現象です。
まさに過去に生きているのが、我々の心です。心=過去。
身体
この点身体は純粋です。
体にとって大事なことは、「今」ですね。
今、呼吸する。今、心臓を動かし、今血液を循環させる。まさに今を生きるために必死な、まるでマインドフルネスのコンセプトをかたくなに守り抜く優等生のような感じです。
ただ、もちろん体も、心(データ蓄積&アクセスマシーン)とくっついて機能していますから、全く無関係ではないです。むしろかなり翻弄されて生きています。
例えば、過去の嫌なことを思い出して、それがまるで今、目の前でそのことが起きているように心臓がバクバクしたり、手に汗握ったり。冷静に考えればただの映画だとわかっているのに、敢えてホラー映画とか見て恐怖を感じたり。あるいは、もっと単純に梅干し思い出して、よだれが出てきたり。もう犬なみですね。
あるいは、とても摩訶不思議な、幻肢痛という現象。例えば、事故や何かで体の一部をなくしてしまった人が、ないはずの部位の痛みやかゆみを訴えるというのも、脳に残ったその部分の回路だけがまだ健在であるがゆえに、そうした、ない部分の感覚を感じてしまうという。
もうこうなってくると、これを「感じている」といった瞬間に、「感じている」のが脳であるのに、感じている場所はその手や足という。もうどっちがどっちって話ですが。
とはいえ、体は基本、心(脳・データベース)が余計なことをしない限りは、「今・ここ」に集中していける機能体です。
なので、瞑想の時など、「今・ここ」に意識を集中させるための、いいガイドとして機能してくれるわけでね。体=今・ここ。
未来は?
このように、過去と現在をつかさどる、心と身体があることは理解できました。
さてここからです。
我々の未来を考えるのは誰なのでしょう? あるいはどこなのでしょう?
NLPの中では、ここに「私」を発見します。私=Missionであり、利他の精神であると。すなわち常にWin-winになるようなアクションを取ろうとする主体。
加えていうなら、この心という「データ蓄積&アクセスマシーン」に対して、新しいプログラムを書き換えていけるのもこの「私」になりますね。
一段高いところから、自分の「心」を俯瞰して、自分を導いていける存在。
もうお分かりかもしれませんが、この「私」という存在があるから、私たちは未来というものを考えていけるのです。
誰でも時々は、(あるいは、いつもできてらっしゃるかもしれませんが)、世の中のことを考え、相手の気持ちを1番に考え、理性的に倫理的に優れた考えを持ち、行動を起こします。
でも時に、ネガティブな感情に支配され、よこしまな心にとらわれてしまうことも。自分だけ良ければいいやー、みたいな。もう私も自慢じゃないけど、昔はかなりよこしまでしたから。
で、そういう気持ちや行動って、必ずしっぺ返しにあうんですよ。っていうような経験ないですか? 私はありますし、いわゆる「おてんとうさまに唾吐けば、必ず自分に」なんていう逸話(?)に見られるように、社会的な道徳観念としても広範にみられる。
これ、思ったんですが、利己的すぎる心というのは、要は(心という)過去からの現象に支配されて、かなり短期的にしかものを見られなくなっている結果なんじゃないのかという。
以前もVisionの話の時に触れましたが、「三方良し」というのが、結局未来を見据えたビスネスの在り方なのは明確ですよね。
「正直者が馬鹿を見る」ようにできてるんだ、と過去のどこかでプログラムを組んだ結果、そのような反応が起きている。あるいは、そういう価値観の中で育ってしまった、それがとても身勝手な、あるいは相手をだましてでもいい思いをしようとする心の在り様につながっていく、ということですかね。
いずれにせよ、結局のところ自分の首を占めてしまうという、とても悲しい状態になるのが特徴ですね。
未来志向
未来志向とは、未来に目を向けていくことですね。
そのために、もちろん過去から学ぼうということはあるでしょう。
ですが、学ぶべき過去を歪んで捉えてしまっては、未来へ向かうことはできない、というのが私が人生を生きてきた感想です。
なので、過去にとらわれている心があるなら、まずはその過去に与えている意味やストーリーの判断基準(プログラム)を変えていくことが必要です。NLPかもしれないし、カウンセリングかもしれない。何がいいかはわかりませんが。
そして、自分過去に対していったん決着をつけることで、改めて未来を考えていけるのではと思います。
そして、その未来を考える指向性というのが、Win-winの利他の精神であり、イコールMissionと呼べるのかな、と。
未来志向というとなんだか仰々しいですが、このように分解してみると、結構どう考えればいいのかわかってくる気がしませんか?
そして大事なことなのでしっかり書いておきますが、これWin-winですから。自分も何かしらを得ないといけないわけです、結果として。これがつまり自分を大切にするということ。自己を他者と同じだけ尊重していける気持ちが、基本設定になります。
そうですね、自己肯定感・効用感を持つことが重要になってくるのです。未来志向への。
まとめ
ということで、今回は、時系列に見る、「心、身体、私」について考えてみました。
そのまま、「過去・現在・未来」という順序になるかと思います。
私は今まで、残念ながら前者二つ「過去・現在」までしか気持ちが及ばなかったですね。端的に言って、「自分のことで精いっぱい」というのは、こういうこと。「心と身体」しかないわけです。
そこに、もう一つの視点、未来を持てる、というのは、ある意味本当に幸せなことで。
ぶっちゃけ今生きてるのが辛かったら、未来なんて視えないですからね。当たり前ですけど。
ブログ100回書いて見えてきたのは、自分自身のいた状態です。
そして、おかげさまで、どうあるべきかが見えてきたんですよ。
書くことで考え、そしておそらく同じようなことで悩んでいる皆さんの指針になるようなことを発信していきたい。
情報過多で、ああしろこうしろとうるさい、と思うことも多いのではないですか? いいんですよ、70億人がいたら、70億通りの歩み方がある。
ただ、少しでも昨日より今日、今日より明日、自分が進歩していることを感じていけるようにやっていきましょう。
自分が自分を見て、よくやってると思える。それが人生ですよ。それ以上でもそれ以下でもないです。人生というものは。
第100回も、ご精読ありがとうございました。