完全版“ゲシュタルトの祈り” 最後の一文のなぞ
Perfect Gestalt Prayer, Mystery of the last sentence
皆さんこんちは、絵にしてみないと意外と頭に入らない、Kusunoko-CIです。
そんな私以前、「絵にしてみたら効果増大『ゲシュタルトの祈り』」という記事を書きました。
こちら多くの方に読まれているようで、たいへんありがたいことです。皆さんの心が、少しでも軽くなるお手伝いができていればいいのですが。
あの当時、ゲシュタルトのこの詩(?)がなんとも頭にイメージしづらく、「結局何が言いたいのだ?」というすっきしりしない感がありまして。じゃ絵にしてみたら、もっと心にすんなり落ちるんじゃないか? という思いから“いらすとやさん”を使用させていただきまして。
一つ一つのセンテンスをVisualにしてみました。単純な絵ですが、やっぱりあるとイメージしやすいな、と一人で納得していたんですが。
どうも気になる最後のセンテンス。なんかこう急に冷たいというか、突き放した感がはんぱない。
一旦気になると、解決するまでどうもすっきりしない。
ということで今回、この最後の一文に込められた謎にせまります。
ゲシュタルトの祈り、最後のところ
前回はドイツ語のゲシュタルトの祈りから、私が訳した日本語を載せておきました。
こちらがそれになりますが。
私は私の人生を生き、
あなたはあなたの人生を生きる。
私はあなたの期待にこたえるためにこの世にいるのではないし、
あなたも私の期待にこたえるためにこの世にいるのではない。
私は私。あなたはあなた。
もし私たちが、たまたま互いを見つけ出すなら、それは素敵なことだ。
しかしそうならなくても、それもまた仕方のないことである。
です。
この最後の文がどうにも突き放していて、違和感が。
でも、どなたの訳を見てもこうなっています。なぜなのか?
実はまだ2文残ってた!
なんと今回の調査で、本人によって以下の2文が、後年付足されていたことがわかりました! いや、結構すぐ見つかったんですけども。
これです。↓
I and You are the basis for We
Only together we can change the world
訳すと「私とあなたが“私たち”の基本、二人が一緒なら世界を変えていける」。
なんと! まだ続きがあった! これは大発見でした!
この辺の経緯は、ゲシュタルトセラピーが御専門の、岡田法悦先生が発表されている「『ゲシュタルトの祈り』最後の一行の謎を解く!」に詳しく書かれていますので、そちらを参照していただくのが一番良いとは思いますが、ポイントとして
- 1950年~60年代アメリカの文化(家父長制など)に影響を受けている
- そうした文化(に影響を受けたMindset)に一石を投じるために書かれた
- 彼自身が、妻との関係性(お互い親分肌)の中で、やや「知らんがな」的な心持があった、かもしれない
- そもそもカップル・カウンセリングの場で、ジョークっぽく書いたものだった(!)
- なので、彼自身これが人生の普遍的心理を表すものとか考えてない(Ohh..)
- そして、(自分の嫁さん含め)結構批判を受けた(特にこの最後の一文)
こんな感じであったようですね。
なんだか一気に崇高なものから、私の“いらすとやさん風庶民的”なテイストに変わってきて、私は結構うれしいです。
完全版ゲシュタルトの祈りはこれだ!
ということで、今回ついに完成版が出来上がります。これです!
I do my thing and you do your thing.
I am not in this world to live up to your expectations,
And you are not in this world to live up to mine.
You are you, and I am I, and if by chance we find each other, it’s beautiful.
If not, it can’t be helped.
I and You are the basis for We
Only together we can change the world
私は私の人生を生き、
あなたはあなたの人生を生きる。
私はあなたの期待にこたえるためにこの世にいるのではないし、
あなたも私の期待にこたえるためにこの世にいるのではない。
私は私。あなたはあなた。
もし私たちが、たまたま互いを見つけ出すなら、それは素敵なことだ。
しかしそうならなくても、それもまた仕方のないことである。
私とあなたで“私たち”、二人が一緒なら世界を変えてもいける。
いかがですか?
まとめ
ということで、意外とあっさり謎を解明してしまいました。ってか岡田先生の功績で。
こちらの内容とても興味深いので、歴史的背景や、彼の思うところなんかも含めて知りたいなという方は、ぜひ読んでみてください。パールズさんに直接師事された方のお話ですから、これに勝る信ぴょう性はないですね。
そんなわけで、今回、最後の一文が、60年代アメリカの文化的背景のもと、夫婦喧嘩でちょっと投げやり、かつジョークを交えた言葉であったことが明らかになりました。そいで、批判を受けて付足してるあたりもなんとも人間味があっていい。
特に現代の文化環境も考慮に入れると、これでカップルにとってのあるべき姿になるかなと思いました。
個と個を尊重したつながり、でもふたりでならもっと大きなことにも貢献できる、
そんな関係を目指して。
ご本人もいろいろ夫婦関係に、思うところがあったんでしょうね。
今日も読んでいただきまして、ありがとうございました。では!
実践“受容的な”ゲシュタルト・セラピ-: カウンセリングを学ぶ人のために
岡田先生の著書です。