問題意識とか言われてもよくわからないよ!

Inquiring mind.

皆さんこんにちは。Kusunoko‐CI、本日は散髪に行ってまいりましたが、帰りにコンビニ行って、ちょっとお怒りモード。プリントアウトしたい書類があったのですが、まず領収書が出せるのか、念のため確認しました。聞いた店員さん、「出ません」。いや出るでしょ? 「いえムリです」。え!? 出せるよ? 知ってるよ? 出してたもん、昔。でも「出せない」の一点張り。えーとね、君高校生だよね? 聞かないの? 同僚とか、オーナーさんとか。あるいはレジまで行って、そういう機能ないか確認してみたら? しないです。Ohh…。

というわけで別のコンビニ行って、出ました(てかそこはコピー機から出る)。なんというか、何が問題なんでしょうか? この場合。

ということで、今日のテーマは「問題意識」です。問題になることへと、意識を向ける「問題意識」というものに焦点を当ててみたいと思います。

問題意識とは

この問題意識というの、何なんでしょうね?

よく会社なんかでは、問題意識をもって取り組んでほしいとか、問題意識がない奴は伸びないとか、そんな風な文脈で語られていますが。

Kusunoko-CIが最近読んだ本の中にも、けっこうな頻度で出てまいりましたよ、この問題意識という言葉。でも私、何のことだかよくわからないのです。何なんですかね? これ。問題を問題だと思う気持ちですか? 今ぱっと書いたけど、結構あってそう。問題を問題だと思うから、解決に結びつくということですかね?

推測だけで書いてても仕方がないので、いつものように、辞典なんかを調べる私。

Wikiさん。

問題意識(もんだいいしき)とは、社会において存在している問題に対して、人々がそれの性質を見抜くなどといった形で、その問題に対して主体的に関わり合おうとする意識の持ちようのことを言う。

社会において存在している問題に対してですか。ずいぶん大きな話なんですね。正直そういわれても、社会問題に主体的にかかわろうという気はあんまりないです。今のところは。私活動家でもないですし。生活も有るので。

もちろん、例えばゴミの分別の問題とか、エコバックの問題とか、自分たちで何とかアクションの取れそうなことはやってます。あと私は絶対ごみのポイ捨てはしません。きちんとゴミ箱に入れるか、なければ家まで持って帰ります。こういうことでいいんですか? であれば、息子に見せて恥かしくないような生き方はしてますが。

でも違うんですよね? もっとなんか高尚なんでしょう? 問題意識って。

問題意識を持つ

すごいのがありました。問題意識で検索してたんですけど、あるサイトさんから。

それは「怒り」です。
問題意識です。

怒りなんだそうです。現状に対する不満。なぜこうなっていないんだーという強い憤り。それが情熱であり、問題意識なんだそうです。うわー怖い。

なんか常に怒ってないといけないみたいですね。それは生活していて楽しいんでしょうか? 私は怒りというものは、あんまり常備したい感情ではないです。できればここぞという時に取っておきたい。怒りそのものは(てか諸々の負の感情)、モチベーションにもなるし否定しませんが、なんか体に悪そうだなと思ってしまいました。そしてできることなら笑って過ごしていたいです。だってそのほうが楽しいじゃないですか。

でも、おおむねいろいろなサイトで調べてみても、言葉の程度に違いはあるにせよ、こういうコンテンツなんですね。問題意識は「現状のままではいけないという不満」みたいな。不満がスタートかー。いや間違ってないのかもしれないけど、ちょっとやだ。

問題意識 定義

世の中の皆さん、この問題意識を自明のものとしているんですね。そんなに分かりやすいのモノですかね、これ。Kusunoko-CIは、なんか言われても全然ピンとこない。そもそも目的がはっきりしないし。何のための持つんですかね?

そんなわけで、けっこうネット界隈で語られている割には、ぜんぜん本質をついているように見えないので、自分で考えることにしました、定義を。

問題意識とは

読んで人のごとく、問題を問題だと認識できる心のありよう。あるいは、ある特定の事象(問題)に関する直接的間接的な情報への意識アンテナの立て方

ここでいうある特定の事象(問題)とは、自分の興味・関心がある事柄を言う。

したがって、情報を得る段階においては、特に何かに有益であるとかないとかは問題にはならず、自分の心が興味関心を持っていることに対して、意識的無意識的に情報収集しようとする、内面を軸にした外部方向へ向かう心的探索機能全般であるといえる。

このある特定の事象(問題)が趣味であるならば、それはおおむね「自己完結」のサイクルを取る。なぜなら、アウトプットによって得られる「益」が、自分か、志を同じくする仲間(共通項を持つコミュニティ)の小さな関係性の中でのみ判断されるものとなるから。探索され蓄積された情報は、コミュニティ内で有益に使用される。そういうふうに働いた心的探索機能、これも問題意識。

一方仕事となれば、情報収集を通して期待されるアウトプットは、金銭に関係してくることなので、問われる責任の重要性が大きく変わってくる。このアウトプットに問われる価値は、他者(競合)との比較にさらされることが常となる。その意味において真剣さは別次元に研ぎ澄まされていき、質の高い(付加価値率の高い)結果を生み出すことを半ば義務付けられた心的探索機能ということになる。しかしいずれにせよ、自らの興味関心の枠を出ることはない(広げる努力はしないとけないが)

いかがでしょうか。なんかちょっとカッコよく難しく書いてみましたよ。で、Kusunoko-CI的に平たく言うと「興味関心、ないしは好奇心」なんじゃね? という結論に達しましたけど、どうですかね?

熱中する楽しさ

実はこの問題意識を書き始める時も、いわゆるカイゼンMindsetに近いなーと思いながら書いていました。ただ、このカイゼンそのものが、現場とマネジメントの間で大きく乖離しているのが現実なんですよね。最近話題になってる某モチベーションを上げるためのポスターとか、見ていて嫌な気持ちになってきます。そんな正論の掛け声かけたって、人は動かないよ。そもそもそんなふうにポスターでなんとかしようとする会社ほど、社員が不満に思ってそうと感じるのは私だけですか?

問題意識に関してもそうです。結局自分が業務に興味関心や好奇心をもっていれば、世界の見方も変わってくるはずです。「この仕組みは何なのか?」、「どういう理由からこれが起きたのか」、「これは面白い、何か使える要素はないだろうか」。こうした一連の積極的な心の動きが「問題意識」なのではないでしょうか? 決して誰かに強制されたり、あーしろこーしろと言われるところから生まれるものではないと思うのです。

子供を見ていればわかりますが、彼らは好きなことはいつまででもやる。工夫する。本来と違った使い方など平気でやる。そして大人から見ると、時折それがとてもInnovativeに見える。そして何より、彼らはそれを楽しんでいる

大人になるにつれて、我々はいろいろと抱え込むようになる。時にそうしたもの(経験や常識)が足かせになって、この「興味関心、ないしは好奇心」を発揮することができなくなってしまっています。

でもね、できると思うんですよ。この好奇心の活性化。どうやるか。やっぱりそれは物事を楽しもうとする気持ちということではないでしょうか。

先にも述べた、怒りとか不満とか。いやそういうのも動機として別に否定はしないんですが、なんか私は嫌です。特に続けるのは嫌。とにかく楽しくやることのほうが、ずっと人生が有意義に感じられる気がするんです。

そりゃもちろん仕事は責任が絡みますから、いつもここと楽しくニコニコというわけにはいかないのはわかっていますよ。ただそういう状況であれ、「楽しい」と思おうとする気持ちがあるのとないのでは、変な言い方ですが「真剣さ」も変わってくると思うんですね。知的に楽しむといいますか。

そんな風に考えていくと、この問題意識というものも、結局のところはいかに楽しんで、「遊び心」を持ちながら、対象に迫っていけるかじゃないかと思うのです。そういう心の持ちようなのではと思うのです。

書いてて思いましたけど、結局心が健康でないと、この感情って持てないんですよね。

まとめ

そんなわけで今回は、問題意識を考えてみました。何のことはない、「興味関心、ないしは好奇心」があるから何かを調べようとする、心に残る、そしてアイデアが生まれる、こういう正の循環サイクルのような気がします。

逆に言えば、問題意識がないということは、「興味関心、ないしは好奇心」が持てない、ということですよね。これはいろいろキャリアとか転職とか考えていくうえでも結構重要なヒントになってくるのではないでしょうか? 心が自発的に動く時、そこには興味があります。好奇心が芽生えます。それは探求心となり、自己を育て、付加価値の高い結果を生み出す。そうすると自ずとかかわる人がみなHappyになるwin-winの関係が生まれてくるはずです。そんな風に働けていたら、とても幸せですよね。

ということで、冒頭のコンビニのバイト君、君、僕をHappyにしてくれてないよ!  アルバイトでも、興味関心、好奇心を持てることをした方がいいってことですかね。

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