保存版:参加してみた! NLP入門コース Vol.3
NLP Introductory Course Vol.3

皆さんこんにちは。Mr. 子煩悩、Kusunoko-CIです。
こう見えて私(見えないね)、子ども嫌いだったんですよ、昔。若い頃、すごく年上の人から、「Kusunokoさん(仮名)、子どもきらいでしょ? だって自分が子どもみたいだもんね」と言われたことがありました。当時から、自分でもその通りだなーと思っていましたが。
なので、昔の子どもみたいな私を知っている人は、こんな子煩悩になった私をみて、結構驚くかもしれません。
人間てのは不思議なもんで、こちらの準備が出来ていないときは、そういう巡り合わせも来ない。そして、こちらが成長を続けていけば、いずれ様々な道が開かれていくのだな、とか実感している今日この頃です。なので、このNLPとの本格的な出会いも、そういうものなのかなとか考えているのですが。
さて、このNLPのお話も3回目。何が学べたのかお話ししていきますが、かなり私的には面白い中身だったので、今回で終わるかなー、という感じです。ではさっそく見ていきましょう。
NLP入門コーストレーナー


今回、入門コースの講師をしてくださったのが、椎名則夫さんという方です。
株式会社エムディーというコンサルティング会社の代表を務めていらっしゃいます。と同時に、日本コミュニケーショントレーナー協会の代表理事もやってらっしゃるとのこと。
ご自身も若い頃、鬱にかかったりして、いろいろ精神面ではご苦労があったことを語っておられました。気さくで面白い方でしたが、ときおり厳しい側面が出てきて、「ビジネスマンだなー」というのが印象でした。
そして博識です。存じ上げなかったのですが、前回のところでご紹介した、『自分とまわりを変える魔法のNLP実践トレーニング』の著者の方がこの椎名さんです。コース終了後ですが、著書読ませていただきました。実際に本を一冊書き上げるには、どれほどの量のInputを必要とするのか、Kusunoko-CIはいまだイメージがわきませんが、相当なのでしょう。
またコンサルタントとしてご活躍されていらっしゃるということで、こういう仕事はいかに有益な情報を自分の中にためておけるか、というのもキーです。話の端々に、造詣の深さが垣間見えました。米国のNLPトレーニングコースなどにも参加されていらっしゃるようで、精力的だなーという印象でした。
ちなみに、もちろんほかにもトレーナーの方々が多数いらっしゃるそうで、実際のプラクティショナーコースの時は、他の方が担当したりするとのことです。
NLPにおける「私たち」


さて、日本NLPアカデミーさんで提供しているNLPはざっくり言って、自分自身を3つの要素としてとらえます。
- 体
- 心
- 私
こんな感じで、1番2番はもちろんすぐに納得ができますよね。
Kusunoko-CIが、今回一番興味をそそられたが3の「私」です。
「何? 私って。心と違うの?」と思われるかもしれません。私もそうでしたが、このNLPでは、「心」は「私」ではないんですよ。
1の体が存在していることは、かなりわかりやすい。手を見れば、顔を触ればそこに存在してますし。何の命令もしなくても、心臓とか呼吸とかしっかりやってくれて、いつもどうもありがとうございます。
そして、出てくるのが2の「心」。これがいわゆる我々の「受け取り方」にあたるところでです。自分の周りに何かしら出来事が起こる、ないしは他者からの自分への言葉がけが起こります。自分の外側にある「事象」ですね。この刺激がInputとなって、その「心」で処理され、様々な我々の「反応」=アクションが生まれます。
NLP 心の階層


みなさんも、どこかで学んだことがあるかもしれませんが、この我々の外側で発生する出来事(他者からの言動含む)は、無色透明です。事象そのものには意味はないです。それに対して、意味付けを行い、反応していくのが我々の心。
このNLPでは、その反応を決める心を、
- 習慣・知識
- 価値観・信念
- 記憶・言語
- 人格
- メタファー
と階層にして捉えていきます。
例えば、習慣・知識で、「これはマナーとしていいこと、悪いこと」と決めていったりしますね。価値観・信念というのも、もちろんわかりやすい。それが自分にとって大事か、そうでないかのようなことはそこから生まれてきます。
記憶の中で、失敗したり嫌な思いをしたことは、ひどい場合であればトラウマになって、今起きた物事の捉え方を決めていきます。失敗して「恥ずかしい」という気持ちも、価値観や記憶の所産ですよね。
人格やメタファーというのは、そのように生きて来た過去の積み重ねで醸成されていきます。例えば、人のことを大切にできない人は、「彼・彼女の人生の中で、大切にされてきたことがない」ということです。それがその人の人格であって、これはかなり哀しいことですね。トレーナーさん曰く、「やったことないこと、知らないことは、できないのが人間、だから嫌な人に嫌なことを言われたら、『お気の毒様』と名付けよう」だそうです。「本人に言っちゃだめだけど、要は『哀れな人』なんだと思う、それだけでだいぶ印象って変わってくる」と。確かに。これも認知に対する働きかけですよね。
メタファー(比喩)だって、知らなきゃ使いようがない。といいつつなんでこの文脈で、メタファーが出てくるのかちょっとわからなかったのですが。メタファーとはストーリーだとかなんとか。聞けばよかった。聞くのを忘れてしまいました。
いずれにせよ、ここに挙げられた心のすべての要素は、「知っているか・知らないか」に関することです。過去に学んだ、経験した、そう覚えているというものの蓄積。言うなれば、我々の「心」は、常に過去に生きているわけです。
そして、ここが面白いところなのですが、この「心」は「私」ではないのです。
「私」とは


NLP的には、「心」というのは脳にあるものとしてとらえます。これは議論を始めると、とめどなくなっていきますので、そういうものだとここでは定義して論を進めていきます。ただKusunoko-CI的にも、現状それ以上合理的な説明というのはつけられないとは思いますが。
で、この心から分離された、あるいはそもそも違うものなのに一緒くたにしていた、「私」という存在に「心」をコントロールさせる(というか「私」なんで「コントロールする」と言いますか)。そのコントロール時に、前回ご紹介した天才セラピスト3人の言葉や、その解析から生まれた効果的なものの言い方を使っていく、ということになりますね。
で、心が「脳の現象」であるならば、その所在地はわかりやすい。脳ですよね、我々の。
じゃこの「私」ってどこにあるんでしょうね? 謎ですよね。いわゆる「自分は誰だろうと考えている、自分は誰なのか?」という話になってくると思うのですが。
「私」の所在地


Kusunoko-CI、質問しました。「NLP的には、この『私』はどこに存在しているととらえますか?」と。椎名さんは、仏教の用語である「真我」という言葉で説明されておられました。中村天風先生のお話などを出しながら。
で、これをあんまり深く説明していくのは、NLPの主旨からはずれてしまうとのことで、ちょっとKusunoko-CI的に消化不良な終わり方になっていましたが。確かに、NLPが科学的なコースと言いながら、長々と仏教用語を説明するのは、他の参加者さん的にも「?」となってしまいます。
もしかするとNLPがちょっと胡散臭いと思われるところって、こういう話が仏教的な部分に行かざるを得ないところにあるのかもしれない。私は、正直仏教、というか釈迦の教え自体には何の抵抗もないです。というかむしろオリジナルの釈迦の教えって宗教ではないのですよね。最近の研究では、釈迦の教えは2500年前にすでに生まれた、認知科学であったというのが定説です。
以前も少しお話ししましたが、西洋哲学や精神医学がある時から、東洋思想に歩み寄っていった経緯がある。1970年代に生まれたNLPもそうした影響を受けているのかもしれない、というのが私の推測です。「原因と結果の法則」のところでも、少しお話ししました。
いずれにせよ、この心と体の枠外に(?)出てきた「私」という存在が、とても重要なポイントになってきます。
まとめ
ということで今回Vol.3は、実際に入門コースで学んだ内容・前編という形になりました。
このNLPの大前提となる、体、心、そして「私」という構造をまずはご説明。「私」とは何であるのか。以前は私は、こういう「私」をメタ認知と書きましたが、そういう理解でもよさそうな気はします。ただし、ここで学んだNLPの「私」は、もう少し深く高尚な存在としての扱いになってきます。それは次回にお話いたしましょう。
やっぱり終わらなかったですね。2時間とは言え、かなり密度の濃い時間でしたので。もう一回お付き合いいただくことになりました。ではまた次回!
これも参考図書です。