周りを気にしない方法 vol.2 徐々に変化が⁉ 

Gradually changing⁉ how NOT to care others vol. 2

皆さんこんにちは、ルンバしながら本を読むのが大好きなKusunoko-CIです。今日息子と嫁はクラスのクリスマス会+忘年会的行事にて不在ですた。そんなわけで、お願いされてた洗濯と、お掃除は自発的にですけどやってました。年末ですからね(今)、大掃除なんかもしたいところです。

さて、今年1年本当にいろんなことにチャレンジしてきましたが、今回のこれもその一つ。「徐々に変化が⁉ 周りを気にしない方法」です。あれがすでに1か月程前のことですので、そろそろご報告できることもあるかということで、今日はこのお題でございます。

前回まで

前回皆さんにご紹介しましたのは、「仏陀式、気にしない方法」。具体的には以下のような手順でした。

00.「脱力」モードセッティング

1.今心に浮かんでいる感情を、「・・・と感じているなぁ」と心でつぶやく

2.手のひら、足の裏、呼吸しているおなかに意識を向ける

で、この1カ月の間でどんな心境の変化があったかといいますと、嘘でも何でもなく、結構回りに言われることが気にならなくなってきてますね。うーん素晴らしい!

ですが正直にお話ししなくてはならないのは、私子の1か月間、上記の方法だけやってたわけではないんですね。実は、「自己肯定感」が自分のテーマになってしまって、ずいぶん本やらネットやらで情報を集めていました。

この間読んだ本は自己肯定感だけで3冊、NLPとコーチングも入れると5冊になってしまいました。そんなわけで、何が効いたのかと問われると、「合わせ技」だったかもしれないと答えてしまいます。

判断しない・あるがまま

とはいえ、この「仏陀式気にしない」、自己肯定感とも結構共通点があって面白いんです。例えば、お釈迦様に関しては逸話でこんな話があります。

ある時お釈迦様のことをひがんだ男が、あるったけの罵詈雑言を、お釈迦様に浴びせかけた。

しかし、お釈迦様は全く意に介さない。で、男の方が諦めてしまって、「なんで何も反応しないのか」と問いただしました。お釈迦様は逆に聞きます、「もしあなたが誰かを家にもてなし、料理を出したとして、お客が何も食べなかったら、それは誰のものになりますか?」。

男は「もちろん自分のものだ」と言います。お釈迦様は続けました、「あなたの言葉を私は受け取らなかった、どうぞすべてお持ち帰りください」。

詳しいお話は前回もご紹介した草薙龍瞬さんというのお坊さんお話にもありますので、読んでみられるといいかと思います。

そうなんです。あの自己肯定感を高める実践の中でお話しした、「あるがままを受け止める」とも似た感じの心の状態なんですよね。あるがままを受け止め、ラベルも貼らず判断もしない。それが尊重であって、他者・自己肯定感につながっていくというあれです。

世界No.1コーチと言われるアンソニー・ロビンスも、「最初にマスターすべき人間関係は自分自身との関係性である」と述べています。ありのままの自分に居心地の良さを感じないままに、何かを積み上げようとしてもそれはなかなかに難しい。それは。高く飛ぼうと努力しているのに、自分の体に重しをつけているのと同じようなことだ、と以前も述べましたが、力の方向性が真逆になってしまっているため、良くてもホバリングしかできない状態と言えるでしょう。

ベンチマーキング(Bench-marking)

物事をカイゼンしていったり、自分たちのビジネスを捉えなおすとき、とても重要な方法が「ベンチマーキング」と呼ばれるものです。これは単純に今ある自社・自分と「他社・他者」との比較です。

例えば業界ではこのぐらいの機能の製品がすでに主流になっている、そして自分たちの製品がそこまでに及んでいないという比較があれば、どうやってその差を埋めていくか、あるいは製品の方向性を変えていくか・撤退するかなどのアクションが生まれてきます。ビジネスの世界ではこの比較分析なくして、勝ち残ったり生き残ったりしていくことは不可能です。もっと言うと、ビジネスとは比較で成り立っているといっても過言ではない。

そしてこれを個人にも当てはめてしまうのが人間です。私は長いこと、人にこうした考え方を当てはめることに違和感を感じていました。なぜならご存知のように、「比較」する人ほど精神的に病んでしまいがちだからです。比較の点は何でも構いません。収入、容姿、社会的地位、車、家 etc. もう目に付くものは何でも比較してしまう。そして泥沼です。

しかし、自分より高いところにいる人や、すでに成功している人のモデリングをすることなしに、我々もそこへは登っていけません。その分野が何であれ。

出来ていない自分と出来ている他人。まさに比較ではあるわけですが、この比較を個人レベルでも行うことができ、ぐんぐん自己成長できる人と、そうでない人の違いに最近気が付いたのです。それが結局のところ「自己肯定」ということに起因するということに思い至ったわけです。

例えばAさんは、自己肯定ができていない。いつも「自分なんか」とか「どうせ何をやっても」という気持ちで過ごしています。人は変われるという「成長思考」も、もちろん持っていません。こういうAさんが自分と他者を比較して感じる気持ちは、「嫉妬」です。あるいは更なる「自己否定感」。「ああいう人は恵まれているんだ。自分とは違う。それに比べて私は…」となっていきます。Aさんは、仮に変わろうとする努力を始めたとしても、必ずどこかで挫折します。自己否定感のままでは。

ところがBさんの場合は、あるがままの自分を受け入れています。いつもいいところも悪いところも含めて「自分OK!」と思っています。特にいいとか悪いとかの判断もしません。こういう人は、優れた人を見てその業績などに感銘を受けたとき純粋に、「すごいな、あんなふうになってみたいな」と思うところからアクションを取り始めます。何か行き詰ることがあっても、できない自分を責めるのではなく、できる理由を探そうとします

いかがでしょうか? 自己肯定感が低い人は、だから「努力が続かない」、ないしは「努力しようという気がそもそも持ちづらい」のですね。

感じないものは存在しない

「仏陀式、気にしない方法」に話を戻しますが、これも結局は自己肯定感のところでお話しした、「判断という積極的な心の動きを取らない」ということにほかなりません。ピーター・セージというイギリスの実業家でNLPのトレーナーも、「感情に反応するから感情にコントロールされるのだ」と述べています。

世界というものは変えられません。あるいは誰かが言った「言葉」というものも、「言ったという事実」もあるいは変えられないでしょう。これは、考えていいのは「自分と未来」、考えていけないのは「過去と他人」と似たところがあります。変えられないものを変えようとするからストレスがかかる。しなくていいことは積極的にやめる。これもトヨタのカイゼンの考え方です(ムダどり)。

つまり、言われたことや言葉は変えられない。変えようとしない。であるならば、我々の心を変える。それが建設的ですね。仏陀がいうように、受け取らなければそれはそのままその人に返却されます。借りる人のいないレンタルDVDみたいなもんです。棚にスーッと帰っていくんです、元のオーナーのところに。

気負わず、言われたことに反応せず、柳が風を流すように、言われた言葉を流してみてくだい。そのために、以前説明した、「感じているなー」と思いっきり他人事で済ましてみてください。そして、できればちょっと自分の体の動きに注目してみてください。できれば呼吸が1番ですが、手でも足でも、それら全部でも。ほんとに効いてきます。自分の感覚でも依然の気にする感覚が10とするなら、今もう半分以下ですよ。自己肯定感のワークと合わせてやってみてください。Kusunoko-CI、1か月弱で50%の達成感です。

まとめ

そんわけで今回は、「徐々に変化が⁉ 周りを気にしない方法 vol.2」ということで、一応の経過報告でした。ぶっちゃけ合わせ技なんで、ちょっとずるい感は否めませんが、逆に言えば、「自己肯定感」の高まりを感じられたら、こっちのワークも本当に効果を発揮するということですから、試す価値大いにありです。

人の心は、しゃぼん玉のように捉えどころのない色の変化で成り立っています。光の加減や角度を変えるだけでずいぶん違って見えてくる。ここでこうして説明されていることは、そうしたシャボン玉の見方の変え方です。そしてそんな移ろいやすいものに自分をコントロールさせずに、ちょっと風に任せてふわふわさせておきましょう。

人生割とこうしたふわふわ感が大事かもしれません。特にこれを最後まで読み切った、あなたや私には。

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