楽に生きたい、生きるのがしんどい おすすめ「自己受容・無知の知・開き直り」
皆さんこんにちは! 今日もどこかで改善サポートKusunoko-CIです。
皆さんは、「楽に生きたい」と思ったことはないですか? 私も自分のめんどくさい性格のせいで、ずいぶんとこう思って生きてきました。
いちいち疲れるんですよね、ただ生きてるだけなのに。
なんていうことはなく、何かのきっかけで、そういう思考(感情)回路に陥るというか、頭の回転が、そういう方向にだけ速いというか。
ムダに。
そんな私も、おかげさまで、最近すっかりそういうことも少なくなりました。
そこで今回は「楽に生きたい」と思っている方に、ちょっとでも役に立ちそうなヒントを、私の経験からお話します。
もちろん万人に適用可能とも思いませんが、もしかすると中には、私と同じような境遇で生きるのがしんどくなっている方もいるのでは思いまして。
もしかするとそれ、自分に過度な期待とプレッシャーをかけているせいかもしれませんよ。
こういう方法というか「考え方」もあるんだなと、これを読んでくださる方の人生を、少しでも楽にできたらなと思います。
自分が「バカ」であることに気づくと、人生が楽になる
結論から書きますが、私の場合は、「もうバカでもいいや」と思ったことがトリガーでした。
なので「生きるのが辛い、楽に生きたい」という人におすすめしたい、「バカを自覚すること」です。
バカがいやなら、「アホ」でも何でもいいんですが。
私の場合は、思春期くらいから、だんだん生きるのが辛くなって、人生の大きな挫折と共に「うつ病」にかかってしまったことも。これは以前もお話しましたね。
20歳くらいの時、仲の良かった大学の恩師に言われた言葉が、「あなたは40過ぎるまで、こうした辛さが続くよ」という言葉。
だいたい当たってましたよ、先生(笑)。
早速どういう作用で、生きるのが「すーっと」楽になったかです。
簡単にいうと
- 自己受容
- 無知の知
- 開き直り
という3要素が、私の中で同期化して発動した、そんな感じでした。
どれが先というのではなく、組み合わさって同時発生したような。
自己受容
これはアドラー心理学でも出てくる言葉ですが、私の場合、「頭が良くないといけない私」という思い込み(?)を手放した瞬間だった、という感じです。
そういう意味で、ちょっとアドラー先生のとは違う。
彼のは「自分自身に価値がある」ということの受け入れることなんで、私は逆というか「価値とかもうどうでもいいじゃん」という心持ですかね。
ある時、「あ、バカでもいいんだ、バカでも生きていけそうだ」と思った瞬間に、心がスーっと軽くなった。
まるで憑き物が落ちたというか。
特にこの後半の「バカでも何とか生きていけそうじゃん?」、というめどが立った(?)心持というのは結構大きかった気がします。
無知の知
これも有名な言葉で
「無知の知」は、ソクラテスの「知らないことを自覚する」という哲学の出発点に向かう姿勢を簡略して表現した言葉(TRANS.BZ)
というやつですね。
これは、「バカなんだからわかないことがあってもいいし、むしろあって当然」、あるいは「できないことも多くて当たり前」、だってそんな「選ばれしもの」みたいなIQで生まれてきたわけじゃないんだからさー(鼻ほじ)みたいな感じですね。
知らんことは知らん、わからんことはわからんとはっきり表明して(ここが重要)、教えてもらえばいい。
「大丈夫、バカでも生きていけそうだし」という、最初の「めどが立った感覚」と相まって、より深く言葉の意味が理解できたというか。
この「何とかなりそう感」は、「無知の知」発芽に大きく作用しました。
開き直り
それまでは、高すぎる自分の理想と、そこへ到達できないことへのギャップがストレスになっていたものが、上記二つが発生することで、「いいんだよそれで、バカなんだから」という「開き直り」を生んだわけですね。
そして「バカでもいいじゃん、幸せなことに色んなもの、恵まれて生きてるんだから」という正しい「自己受容」に戻ってまたつながって、とそんな感じでした。
もっと簡単に解釈すると、多分いろいろなことが「どうでもよくなった」、ということなのかもしれません(笑)。
バカを殺す「プライド」、正しい「自己判定」
これはおそらく「プライド」といいますか、冒頭でも述べた「自分に過度な期待とプレッシャーをかけているせい」に起因した、「生きることの辛さ」であったのではと思います。
自縄自縛ですね。
以前も述べましたが、我々は、自分たちが成長していくと信じる「成長思考」というのものを、持ってなくてはいけません。
そのために、ベンチマーキングであったり、「モデリング」をするというのは大切な試みです。
この辺のことは、以下にも説明しました。
しかしながらそのために、成功して優れた結果を出している人と、単純に自分を比較して、「今できていない自分」に打ちのめされるというのは、ちょっとおかしい。
まったく精神的に良くないですよね。だったらむしろ、「モデリング」なんてやらない方がいいみたいな。
「自分はできていない、だからだめだ」、「自分だって彼らのところにいるべきなのに到達できていない、本当にダメな自分だ」などと思い始めると、努力が続かないどころか、また(⁉)精神が病みかねませんからね。
私も約7年、世界に出ていって、ものすごく頭のいい人にも何人も出会いました。また成功者の方法論を学ぶため、いろいろなセミナーに参加したりもしましたし。
で、そういう努力がしんどくなることが、残念ながらあったのですね。
うつ病経験者ですから、「あ、やばい」となると、過負荷をかけることはやめなくてはいけません。
努力した結果に、死んじゃってたら意味ないですからね(笑)
株と一緒です。
最も大事なことは勝つことではなく、「負けないこと」。負けなければ、市場にとどまって次のチャンスに参加し続けることができるわけです
人生も一緒で、「死なない限りは何とかなる」、というのはさすがに学んでいましたから。
ただ努力のたびに、不定期的にしんどくなるというのも、なかなかストレスのたまる状態でした。
なんなのかなーと考えることも多かったのですが、ある日天啓のように「バカでいいんじゃね?」という気持ちが、ふっと心に涌きあがったのです。
- そんな天才じゃないんだから、今できてなくて当たり前
- そこは特に気にしなくていい
- それでも何とか生きてきたし、これからも多分何とかやっていけるよ
- だから出来ること、出来る範囲でやっていけばいいし
- 失敗しても、まぁいいじゃん、「バカ」なんだから
とまぁこういう心持ちになることが、できたわけですね。
「正しい自己判定」というのが当たっているかもしれませんね。心理学に詳しい方、ぜひ教えてください。
真面目と言えば、真面目なんでしょうけど、「バカだなー」とつくづく思いました(笑)。
まとめ
そんなわけで今回は、「楽に生きたい、生きるのがしんどい『自己受容・無知の知・開き直り』」でした。
一回「バカでも何とかなる、そしてバカでもいい」、こういう考えに思い至ると、本当に肩の力がふっと抜けます。
で、それ(自分は普通の人、あるいは少しバカなんだな)を受け入れたうえで、「成長思考を信じ、自分にできる努力をしていく」というのが大事なのではと思い至りました。
ここでプロゲーマー・梅原大吾さんのゲームに対する考え方をご紹介しますが、これは人生にも当てはまりますね。
どんなに上手そうな人、強い人も必ず自分の延長線上にいるという事をわかってほしい。
必ず自分が前進した同じ道の先にいるんです。
道は一本だけなんです。
どんな強い人も「飛行機でワープした」とか、「自分だけこっそり違う裏道を通った」とかない。
もちろん才能の差というものはある。人生の残り時間も違う。一生追いつけない人も出てくるでしょう。
でも、その人が通った道は我々でも必ず通ることができる
大事なことは、他人ではなく、昨日の自分と比べていくこと。
バカだっていいじゃないか。人生なんてそもそも「DNAのレベル」から不公平なんですよ。でも我々はみな、公平に成長へとチャレンジする能力を持っているんです。
それを大事にしましょう。
皆さんの生きづらさ、少しでも解消されますように。劣っているとかそういうことではないんですよ。どこかの「道の途中」にいるだけです。
今日も読んでいただきまして、ありがとうございました。
ではまた!