息子へ、パパから伝えておきたいこと その2
To my son, things that Papa wants to tell you, Vol.2.
初めてのお風呂
前回は初めて我が家に帰って、そして初めてBCGの注射を打ってもらったところまでだったね。今日は初めてのお風呂のエピソードから始めてみよう。
ママは手が小さいし、まだ具合もよくなかったから、最初のうちはパパがお風呂に入れる役だったよ。赤ちゃん用の小さなバスタブ、うちにあったの覚えているかい?
Jeddahはほとんどいつも夏だから、出てくる水道水だけで君にはぴったりの温度、だいたい38度にしていたね。たまーに沸かしたお湯足したりしてたけど。
初めての、君にもパパにもママにもほんと―に初めてのお風呂は、結構大変だった。君は、ママのおなかから出てきて、この世で初めてお風呂の水につかった。すごいショックだったんだろうね! 泣き叫んだよ。まるでこの世の終わりなんじゃないかと思うくらいの泣き声で正直こちらも随分ショックを受けた。ママなんかね、もう一緒になって泣いてたんだよ。君がかわいそうだって。なんだかまるでパパが君のこと虐待してるみたいじゃんね。パパちょっとママのこと怒ったんだ、「気をしっかり保ちなさい」って。
そんなわけで、初めてのお風呂は、バスルームじゃなくて部屋の中に用意したテーブルの上だったんだけど(これはしばらくそのままこの方法だった、腰が痛くなくていいから)、二人ともぐったり疲れてしまった。赤ちゃんの(君の)悲痛な泣き声というのは、パパママのライフを削り取るには十分すぎるインパクトがあったよ。
そんな拷問のようなお風呂体験も、1週間もしないうちに君は大大大好きになっていったね。今度はお湯から出すと逆に泣き出してた。「もっと入っていたい」って。面白いもんだね。気持ちいいことだってすぐわかったんだろう。
そんなわけでね、初めてのお風呂もすごくいい思い出になって、いまだにパパとママは時々思い返しては笑っているんだ。君、今もお風呂好きだよね!
番外編~通訳
これを書くにあたって、君が生まれたばかりの頃の写真を見返していたら、ちょうどこの時パパの会社で面白いことがあったのを思い出した。自民党の青年部に属する国会議員が3名、サウジのパパの働いていた会社に視察に来た。で、突然、パパに通訳やれという話が来たんだ。
確か1日前くらいに急に言われて、3名の国会議員さん(パパよりちょっと若かったかな?)の資料渡された。渡されても、誰が誰やらさっぱりわからない。パパそのころ、日本の政治なんか全然疎くなってたし、正直名前聞いても「誰?」って人ばっかりだったしね。
でもまぁ仕事だし、サウジの会社は本当にいろんなことをやっていたから、例えばアフリカで困った人たちの支援をしたり、サウジでも起業家や働きたいと思っている女性の(!)のサポートなんかしていたんだ。トヨタであったけど、例えば重機のコマツとかも扱っていたし、日本の電化製品の輸入販売なんかもしてた。サウジで一番大きな会社の一つだったしね。そんなのもあって、自民党議員さんの、どんなつてだか知らないけれど、視察ツアーの一部に組み込まれたみたいで、しかも通訳いないとか、なんじゃそれ。
パパ当日は一番いいスーツ(ママとの結婚式で着たやつだ!)着て、普段しないネクタイも締めて、トーストマスターズのピンもつけて、緊張しながらお迎えしたよ。第1印象はね、「なんて傲慢なひとたち」。政治家はよく、受かるまでは頭を下げて、受かった後は反動でふんぞり返るっていうけど、本当だったよ! 祖国を遠く離れ、砂漠の地で頑張っている日本人(パパ)が、お迎えしているわけなんだけど。「どのくらいこちらにいらっしゃるんですか?」とか、「暮らしはどうですか?」とか一切なかったよ。あんまりなかったから、パパ日本人じゃないと思われてるのかしらと思ったくらいだけど、日本語で話しかけてきてたから違うんだろうね。単に興味がないという。
それで、視察の建物がね、普段はパパとか社員でも中には入れない施設なんだ。女性がお仕事の訓練を受けたり働いたりしているところだったからね。あれはいい経験だった。多分そういう機会でもなければ、一生入れなかったと思う。
それから、ミシンだとか工芸の現場を一緒に回って、今度は会議室でプレゼンテーションなんだけど、パパ一人で全部通訳してた。3時間くらい。そしたらだんだんね、パパの頭の翻訳回路が焼き切れ初めてね、サウジの同僚が英語で説明した単語がだんだん日本語にできなくなってしまった。英単語がそのまま口から出ていた感じ。疲れたよ。
最後はお見送りだけど、皆さんたいしてパパには興味もないといいますか。でもJTBの一緒に来てた人はねぎらってくれたな。あれからパパJTB好きなんだよね、なんとなく。
サウジの同僚たちはもちろんいっぱい感謝してくれて、そこで作ってる工芸品やら珍しいもの、おいしいチョコももらったっけ。サウジ人女性の偉い人といっぱい話したのも、あれが最初だった。今となってはあれも本当にいい経験だったなって思う。君がたぶん2か月くらいの時のお話でした。
元気な0歳児
それから、君はすくすく育って、首もすわってハイハイしだすようになった。なつかしいなぁ、歩くどころか寝返り打つことすらできなかったんだよ。ミルクを飲んでは寝て、また起きてはミルクを飲み。それが君の仕事だったね。
何度も何度もワクチン注射を打ちにいったり大変だったね。一回、女性のお医者さんにおしっこかけたっけね。優しいから怒られなかったけど、パパ恐縮してしまいました。
4月(生後半年頃)には生まれて初めてビーチに行った。きれいなビーチ、「ラプラージュ」って名前の。Papa Chito、Mama Gigiと一緒だったね。Jeddahがサウジのほかの都市と違ってよかったのは、海があるところだった。Red Sea(紅海)、その向こうはエジプトやアフリカ諸国、何とも異国情緒あふれる街で君は生まれたんだ。ところで紅海は、思うより紅くなかったけどね。世界のダイバーが一度は潜りたい場所だっていうよ、希少価値だ。
このころになるとママが用意した固形物も食べるようになってた。かわいかったよ、たまに食べながら寝てた。パパ昔、子猫飼ってたけど、その子猫たちも食べながら寝ちゃってたことがあった。子供特有なんだろうね。一回何か喉に詰まって、ママが慌てて君を抱えて頭を振り下げたら、喉から食べ物が出てきたこともあった。怖かった。それからというもの、今まで以上に食べ物は小さくカットするようにしたんだ。
8か月くらいにはもうつかまり立ちし始めてた。早かったんだよね。君のおじいちゃん、記録を残してたよ。今度帰ったら正確にいつだったか聞いてみようね。11か月歩き始めて、もう動き回るのが楽しくてしょうがなかった。今までちょっと段差をつけておけば行けなかったところも、君は簡単に乗り越えるようになって、パパとママはいつも家具のレイアウトに頭を悩ませてた。目を離すとすぐローテーブルの上まで上がってたりね。でもけががなくてよかった。本当にラッキーなことに君は大きなけがも病気も、ほとんどしなかった。ただサウジは少し暑すぎて、いつも皮膚がかゆくなっていたけれど。これはパパもママも一緒だったね。
0歳のイベント
0歳でもいろんなイベントがあった。家族3人で初めてのクリスマス。なんか、すごく不思議な感じだった。パパやママは君がいなかった世界を知っている。そして君はその世界を見たことはない。家族が一人増えて、生活の中心がパパママから君に移動していくのは、思ったよりもずっとずっと楽しい経験だった。パパは、その時思ったよ、「人はある程度の年齢になったら、自分のためじゃなくて子供のため家族のために生きていくことで、幸せを感じやすくなるのかもしれない」ってね。
ささやかだけど七夕パーティーもした。Ikeyaで竹を買ってきて、短冊吊してみたり。パパやママの誕生日も一緒に過ごせた。サウジは良くも悪くも家族がいつも一緒に行動する国だったから、ほんとにどこへ行くのも一緒だったね。確かトーストマスタークラブのコンテストにも君を連れて行った。君はスピーチの邪魔にならないようにロビーにいたけれど、みんなが「最年少トーストマスターだね!」って言ってたね。
同僚がくれた古い携帯電話の曲がえらくお気に入りで、「ちう、ちう」って言いながら踊っていたのもこのころだったかな。人差し指を天井に向けて。ディズニージュニアが大好きで、歌が流れると必ずテレビの前で踊ったりね。君は今もダンスが好きだけど、0歳の頃にはもう立派なパパとママのエンターテイナーだったよ。
1歳前、11か月頃には、ママがPlay dayっていうイベントに連れて行ってたね。イギリスの領事館がらみの集まりで、いろーんな国のママと赤ちゃんたちが集まって、楽しいアクティビティをするイベント。ママ毎週頑張って、そのころから使えるようになってたUberで君をいろんなところに連れていくよう努力してた。ママは本当に頑張り屋さんで、君にとっていいことは何でもしてあげようといつも情報を集め、行動をとっていたよ。そのおかげで君は、Jeddahでも籠の鳥にならず、いろんなことが経験出来ていたんだよ。