悟りの開き方 お釈迦様の問題解決と標準化

みなさんこんにちは。今日もどこかで改善サポート、Kusunoko-CIです。

さて今回は、お釈迦様が説かれた人の目指すべき心の在り方について、改善おじさん的な視点から考察を行ったエントリーになります。
いわゆる悟りの開き方になりますが、カイゼン活動における問題解決の手法で、これを追いかけてみたいと思います。

お釈迦様は悟りの知恵を標準化し、ヨコテンしてくださいました。誰でもできる方法になり、これは再現性のある科学的なアプローチとなっています。ベンチマーキングができますね。

お釈迦様の悟り

あまり説明はいらないかもしれませんが。

お釈迦様の教えである、初期仏教における悟りに関してです。お釈迦様は35歳で悟りを開いて後、それをたくさんの人に教えて82歳の生涯を全うしました。
元々のお釈迦様の教えには、いわゆる神様的な神秘的、宗教的な話は一切出て参りません。我々のような普通の人間が、自分達の日々の努力と正しいことの実践の積み重ねで、あらゆるものに煩わされない境地に達することができると述べているのです。

ですので、あなたがどのような宗教、あるいは仏教において違う宗派を信仰されていましても、なんら矛盾や衝突をおこすものではありません。どうか安心して実行してください。

お釈迦様は自分が死ぬ間際まで指導をなされ、最期の教えは後述する「八正道」であったそうです。

お釈迦様の現状分析

まずお釈迦様は、人の世、人生についてシビアな分析をされました。その結果、人生は辛く苦しいものであると定義されました(問題の定義)。

自分の出産と引き換えに母親を失ってしまったことも、こうした考え方に影響を与えていたのではと思います。


四苦八苦という言葉がありますが、まさにこれがお釈迦様の分析による、我々の人生を表したものです。

まずは四苦。これは生老病死です。

人は生まれる場所、条件を選べません。

人は必ず歳を取り老います。

そして病気にもなります。

やがて寿命がくれば、必ず死に至ります。

どうやっても思い通りにならないことばかりですよね。

さらに八苦で、上記四苦に下記の四つを追加します。

  • 愛別離苦(あいべつりく):大切な人や大好きな人であっても、いつかは離れなければならない苦しみ。これを書いてる最中にも、大叔父さんの訃報を受け取りました。合掌。
  • 怨憎会苦(おんぞうえく):逆に大嫌いな人、顔も見たくない人でも出会ってしまう苦しみ。職場の人間関係やママ友など、これも生きる限りは避けがたい。
  • 求不得苦(ぐふとっく):求めるモノゴトが手に入らない苦しみ。この辺SNSによる他者との比較とか、承認欲求とか、現代人が常に感じているものですよね。
  • 五蘊盛苦(ごうんじょうく):自分の心や、自分の身体すら思い通りにならない苦しみ。

四苦八苦は、人間が生きている上で決して避けては通れない、根源的な〈苦〉を表しています。

お釈迦様の問題解決への道は、人生は絶対に思うとおりにならないこと、四苦八苦で人生が成り立っていることを、しっかり受け入れる、すなわち現状認識を正しく行うことから始まります。

問題が見えるようになりました。人生はそもそもが辛いもの。辛くない・苦しくない状態があるべき姿ですから、そこにギャップが見えてきます。問題・課題解決は常にギャップアプローチでしたね。

真因分析

ではなぜその苦しみが生じてしまうのか。現状分析がしっかりできていますから、この問題を「なぜ、なぜ・・・」と深堀していきます(なぜなぜ分析)。

ここにお釈迦様の発想の転換がありました。それは、問題解決の糸口を自分の手におえない外的世界に求めるのではなく、自分でなんとかできる「心」そのものに向けていくことでした。

カイゼンなどの問題解決においても、あまりに大きな、自分の手に余る部分に真因求めるのではなく、できる範囲にフォーカスするというのは定石です。
例えば円安が今の会社の問題を作り出していたとしても、そこを攻めて我々に 何かできることがあるでしょうか? むしろ相手が大きすぎて、無力感の中施策が打てなくなるだけではないでしょうか?

今自分達でできる部分への努力や改良で、問題解決に向かうというのが、建設的な態度になりますよね。

お釈迦様の問題解決はこうして、苦しみを解決するターゲットとして自分の心に目を向けます。人生が苦しいのは、苦しいと思う「心」があるからだ、という風に。

作用反作用の原理と同じです。上の四苦八苦はすべて、何とかしようと思う心が強いほど大きな苦しみになるのは、簡単に理解できるのではと思います(執着)。

解決するべき真因は、我々の心のほう。心の在り方を変えて行くことが、苦しみという問題解決のキーであることを、お釈迦様は見抜いたのでした。

カイゼン策 悟りへの方法

どのような紆余曲折を経たのでしょうか、お釈迦様は菩提樹の下でついに悟りを開かれましたが、誰にでもできるものであると、成功事例を標準化してくださいました。

それはまず以下のような手順で始まります。

  • 苦しみは、自分の心によって生まれていると理解しなさい
  • そのことを認識した上で、発生源である「心」というものは、日頃の訓練により小さくしていけることを理解しなさい
  • そしてその方法とは、以下の八正道という具体策であることを理解し、実践しなさい

以上です。

これを、人生は苦しいものであるという最初の理解と合わせて、四諦(したい)といいます。

ここで使われる「諦」という漢字は、「諦める」ではなく、解るというという意味になります。4つの理解です。

またそのほかにも、この世のすべては諸行無常(自分自身を含めたすべてが、常に変化して一定ではない)であることと、その延長として自分が必ず死ぬ存在であることを常に心において生きなさいとも説かれております。

 

具体的なアクションとしては、

  • 大きな生き方として、この四諦の最後の八正道を行う
  • またテクニカルな施策として、ヴィパッサナー瞑想という瞑想を行う

この2つをとることで、苦しみからの解放=人生の問題解決である悟りに至れると説かれておられます。

具体的な成功事例のヨコテンですね。

具体策1 八正道

では次に、具体的にこの八正道の中身を見ていきましょう

八正道とは、次のような八種の正しい生き方のことです。

  1. 正見(しょうけん):正しい見解。自己中心的な見方や、偏った見方をせず、正しい物の見方を心がけること。
  2. 正思惟(しょうしゆい):正しい決意。自己中心的な考えを捨て正しく考えること。
  3. 正語(しょうご):正しい言葉。嘘や、無駄話、悪口を言わず、正しい言葉使いを心がけること。
  4. 正業(しょうぎょう):正しい行い。貪欲にならず、好き嫌いをせず、正しい行いをすること。
  5. 正命(しょうみょう):正しい生活。世の中の為にならないことや、人の迷惑になることをせず、収入を得て、規則正しい健全な生活を送ること。
  6. 正精進(しょうしょうじん):正しい努力。正しく励み、努力をすること。
  7. 正念(しょうねん):雑念をはらった心の安定した状態。物事の表層にとらわれないで常に真理を求める心を忘れないこと。
  8. 正定(しょうじょう):精神を統一して心を安定させること。心の動揺をはらって、安定した迷いのない境地に入ること。

いかがでしょうか? 我々普通の人が、出家などしなくても普段の生活の中でやれることばかりなはずです。

我々凡人は、まず3番の「正語」から行うといいといわれています。

簡単とは思いませんが、できる行いばかりですね。ちなみにお釈迦様は、7年の苦しい修行を経たのち、命に係わるそうした修行自体、「意味ないじゃん」と悟られたとのことで、上記のような日常の行いで十分であるという情報をシェアしてくれています。

ちなみに「何が正しい」というのは、いろいろ意見の分かれるところではあると思います。私は、社会と、自分に関わる人たち、そして自分自身に益をもたらす三方よし」の考え方(win – winの関係)を目指していくのが、それに沿った考え方・やり方かなと思っています。

具体策2 ヴィパッサナー瞑想

次にあげるのが、 ヴィパッサナー瞑想

こちらの瞑想で、日々忙しく、しかも無益に思考し続けている意識(脳)に休息を与えます。こうした瞑想は、上記八正道を行うための「足腰」になるようなものです。

また私は、人生には「今ここ」しか存在しないことを、身に着ける訓練法と理解しています。

具体的な方法は、いろいろな専門書籍でも説明されていますね。

私は以下のように実践しています。

  • 一回15分(携帯のタイマー使用)、最低2~3回(朝昼晩)
  • 椅子に座って、目を閉じ、なるべく呼吸に集中する
  • 思いは言語化しない(これがかなりの休息になります)
  • また浮かび上がる雑念に適当なラベルを着け、客観的に観察するが、けっして深追いしない
  • 雑念が浮かび上がってなかなか集中できないときは、「ぎゃてーぎゃてー ぱらぎゃてー ぱらさんぎゃてー ぼにえいそわか(は)」というお釈迦様も唱えたであろうサンスクリット語のマントラを、心の中で唱える(最期の「か(は)」は、アラビア語のKH的な発音ですね)

あとは、日常で自分の行うすべての動作を丁寧に観察し、今ここしか存在しないことを常に感じるように、瞑想を日常の中に浸食させるようにしていきます。

ヴィパッサナー瞑想ではほかにも、歩くという行為に集中する方法(例:右足を上げて下ろし、左足をあげて・・・)などが推奨されていますが、要は日常の行為・行動すべてに適用可能だと理解できます。

3週間もやると、心に雑念のない状態というのが実感できます。無益な思考が減るので、集中力がかなり増します。脳が情報過多で疲弊しないので、仕事や勉強もはかどりますし、なにより心が安定しているのを感じます。

私はこれにより、初めて自分自身になれたような気がしています。ちょっと意味が分からないかもしれませんが、自己肯定感が低いことがお悩みの方など、やってみるといい効果が得られるのではないでしょうか。

 

「心」というもの自体が存在しないと、実感としてわかるまでがゴールらしいですが、ここの境地は想像するのが難しいですね。お釈迦様恐るべしです(笑)

こぼれ話

お釈迦様の生きた時代、インドのあたりではバラモン教という宗教が信仰され、それと同時にカーストという身分制度が敷かれました。

バラモンの高僧のみが神と交信し、生まれついてのバラモン信徒以外は、改宗してもカーストの最下層にしかなれず、など、当時の征服民族による政治制度を下支えするためのものとなっていました。

こうした在り方に疑問を持ち、真理とはそういうものではないのではないかと考え始めたのも、お釈迦様の思考の出発点でした。

 

あの食べ物の名前にもなった「周梨槃特しゅりはんどく」(名荷・茗荷:みょうがのお話のもとになった人物)さんというお弟子さんは、お釈迦様の教えを愚直に守り、日々の「お掃除」を通して悟りの境地に達したといわれています。

食事するとき、一噛み一噛みに集中することでも、「今ここ」を実感し続けることができると、スマナサーラ長老は述べておられます。本当に日常生活のなんでも、瞑想中の作業のようにふるまうことが可能です。

 

お釈迦様はまた、死を特別視しないようにとも言われました。生きることと死ぬことは同列のもの。

日常で死に出会うことがあったら、それを自分のこととしてできる限り重ね合わせて考えること。息を吸い、息を吐くのと同じことのように、死もとらえていくこと。

とかく現代人は、極度に整備された社会の中で生き過ぎたため、死の身近さを忘れてしまっている点は否めないですよね。その非日常感が、「自分も遅かれ早かれ死ぬ存在」であるという事実を見る目を曇らせてしまいがちです。死も自分も、何ら特別ではないのです。

また、楽しいことに没頭して、「人生が苦しいものである」という現実から目を背けることも、お釈迦様は戒めました。その現実を受け止めた上で、正しく生きる、これが本当の意味で苦しみから解放される術であるとおっしゃられております。

 

誰でも、苦しみから解き放たれる方法。きなり物で、みんなが到達できる道。だから大乗仏教。

かの有名な般若心経は、こういう心の境地が存在するのだ、誰でも到達することが可能なのだということを説明されたお話です。神様とか仏様とか、死後の世界とか極楽浄土とか、祈りによる苦しみからの救いとか、そういう宗教的な要素は一切記載されておりません

誰も証明できないそうしたものを、あるとかないとか議論したり、あるいは信じたりすることすら、あまり意味のないことと彼自身は考えていたようです。

私はその辺は、確率論的に信じてますけども(笑)  人知を超えた存在というのはあると思っています。

 

あとは中庸の精神ですね。あんまりやりすぎないこと。原理主義的なものも否定されておられますし。

日常をしっかり生き、我々ができる範囲で精進して行けばいいのではと思います。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回はお釈迦様の到達された、心が苦しみから解放される訓練法のヨコテンでした。

私は小さいころからこうしたことに興味があり、いろいろ本を読んだりネットの情報を読み漁っていました。

そもそも人生は、年をとればとるほど「しんどいな」と思うことが増えますしね。

ただ最近のネットの、なんというか「金儲け臭」の強い情報提示の仕方にうんざりしてしまいまして。タイトルで「悟りの方法」をにおわせながら、本文で核心には触れず、そこから次の自分のビジネスに持っていくやり方です。

こういうことで金儲けするなよと。そもそもそういうやり方が、お釈迦様の八正道に沿わないことを理解されておられるのでしょうかね。

それを言うと宗教そのものの全否定にもなりかねませんが(笑)

人生が苦しく、特にご高齢の方など、不安にさいなまれている方というのは多く存在します。

そうした方々の心が少しでも軽くなりますよう、お釈迦様の教えをきちんと解読された方達の書物からの情報になっております。

標準化とヨコテンです。

難しい技術や修行は問われていません。ただただ自分の心のコントロールにあるのです。そしてこうした心の在り方は、誰かがやってくれるもの(他力本願)ではなく、我々自身でやるべき、かつできることであると、お釈迦様はおっしゃられております。

四諦を踏まえたうえで、八正道や瞑想法を実践していきましょう。

 

当方仏教哲学者でも、お坊さんでもございませんので、もし何か考え違いや間違いなどありましたら、コメント欄でご指摘いただけますと幸いです。この記事によりますと、世の中には悟りを開かれた方がいっぱいいるのだそうです。ぜひそうした方々に、そのコツや意見を聞いてみたいと考えています。

偶然このブログににたどり着いた方々や、私自身の今後のためにもなりますので、ぜひお願いいたします。

 

今日も読んでいただきましてありがとうございました。

ではまた。

<今回の主な参考文献>

眠れなくなるほど面白い 図解 般若心経 宮坂宥洪(著)

原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話 アルボムッレ・スマナサーラ (著)

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