「ほめちゃだめ」とか絶対信じません アドラー心理学
I don’t believe that we should not praise our kids.
皆さんこんばんは、今夜はすっかり遅くなってしまった、Kusunoko-CIです。
ワークショップをやっていますので、毎日のフォローアップやら何やらで、会社を離れる時間も遅くなります。ミニ反省会をやって明日に備え、どうか効果的にProjectを進行させてもらうかを話し合い。
というわけで、今回も改善ネタで行こうかと思ったのですが、書くと長くなりそうなので、やめます。
その代わり、週末読んだ「嫌われる勇気」について少しまとめてみたいと思います。
嫌われる勇気
言わずと知れた、アドラー心理学の本です。
そのセンセーショナルなタイトルから、ずいぶん有名になりましたので、読んだ方も多いのではないでしょうか。
先日お話しした友人からも、「読んだ?」と聞かれましたが、実は今回まで、しっかり読んだことはありませんでした。
そこで、いい機会だなーと思いまして、この岸見一郎さん・古賀史健さん共著のこの本をしっかり読んでみました。
アドラーという人
オーストリア出身の精神科医、心理学者、社会理論家。ジークムント・フロイトおよびカール・グスタフ・ユングと並んで現代のパーソナリティ理論や心理療法を確立した1人。
初期の頃のフロイトとの関わりについて誤解があるが、アドラーはフロイトの共同研究者であり、1911年にはフロイトのグループとは完全に決別し、個人心理学(アドラー心理学)を創始した(Wikipedia)。
という人物です。
アドラーさんは心理学の三大巨頭の一人。あの「7つの習慣」のスティーブン・コビー博士や、ナポレオン・ヒルにも影響を与えたといわれています。
「嫌われる勇気」まとめ
今回、きちんと読み込みまして、「嫌われる勇気」の内容を理解しました。以下軽くまとめてみたいと思います。
原因論ではなく、目的論
これがある意味有名な、「トラウマなど存在しない」理論のようです。
アドラーが言わんとしていたことは分かります。世界をどうとらえるかで、その後の生き方は変わってくる。
なんでもかんでも「トラウマ」として、自分の都合のいいように(悪いように?)過去の経験を捉えていってはならない。前を向いて生きていくんだ。
だいたいこういうことだと思うんですが、アドラー先生は「トラウマなど存在しない」とまでは言ってないようですね。
そう。読んでいて違和感を感じてたのが、まずはこの部分。
PTSDの人とかどうすんの?
強烈な精神的外傷を負った人の、脳が委縮してしまっている件とかどう説明するのかという。
好意的に見れば、言いたいことはわかります。何かにつけて過去を持ち出して、被害者ぶって生きてもいいことはない。当たり前のことです。
病気としての深刻なケースを除けば。
感情にも目的がある
これも、まぁわからんでもないです。
怒るの感情も、怒ることで何かの目的を達成したいと思っているからだ、という理屈。
うん、涙をそういうふうに使う人もいるし。
感情というのが、そのように目的に応じてコントロールできるのなら、むしろこれは試していってみたいです。
劣等感はいいこと
これも同意します。自分が不完全である、もっと高みを目指して頑張りたい、という成長への指向は、人としてとても重要な感情であり動機です。
このために、まずは不完全な自分を受け入れる、というのも前提として持ってないといけない。
ただし、これが劣等感コンプレックスという、こじらせ系まで発展させてはいけない。それは不幸自慢や、自慢大好きなどというあまり人としてよろしくない性格を生み出してしまう。その通りです。
全ての人間は平等
理想では。宗教的にも。
でも現実そうではない。
全ての人間がアドラーさんの言うことを信じていたら、実現可能です。
人は共同体の中で自分の存在価値を感じつづけるために生きている
みんながみんなそうかはわかりません。
が、これに対しては、コミュニティーとのつながりを感じている人ほど幸福感も高い、という研究結果は出ています(人づきあいと幸福度の関係)。
私も、誰かのために何かをしている、何かしたいと思った時ほど、幸福感が増してくるのを実感しています。
以前から何度か、Visionや大きなものへの貢献という話をしてまいりましたが、この辺は科学的にも証明されているので、問題なし。基本Agreeです。
課題は分離すること
これはいうほど簡単ではないと思います。
なぜなら大人の世界では、いくつもの利害関係が、複雑に重なり合っていることのほうが多いから。
そう単純に、この行動の結果を受け止めるのは、私ではない、とか彼だ、とか判断しづらいと思うんですね。
例えとして書かれている、子育てのお話。
親がすべての問題を子供から取り上げ、代わりに解決してしまうと、子供は将来問題を解決することを知らず、ただただそれを回避しようとする人間になってしまう。
これはわかります。こういう単純な例なら、簡単にできるかどうかは別にして、理解はできますが。
例えば改善おじさんのProjectサポートなんか、どの辺までが当事者なのか考えてしまいますね。結果出せることが評価の対象なら、それのお手伝いをした私なんかも評価が問われます。
かといって、私が彼らの代わりに問題解決していいわけでもないし。
コーチングの観点から行くと、コーチにできることというのは、受け手の心の中に在るソリューションを引き出してあげることで、ソリューションを与えることではない、なんてのもありますしね。
あとこれと付随する話で、「褒めちゃダメ」というのがありましたが。
アドラーの個人心理学は、とにかく賞罰による教育というのを否定していると書かれています。
いや私は反対です。
全員がこの個人心理学を信じている世界ならそれもいいかもしれない。ですが、現実問題として、行動を強化して好ましい活動を増やすというのはとても重要な方法です。
加えて、子供も褒めちゃいけないとか。賞罰の罰がダメなら、叱ってもダメなのか?
そんなのあり得ないですよね?
なのでこの点については、この「嫌われる勇気」という本に、真っ向反対です。
私は褒めも叱りもします。なぜなら子供を愛しているからです。
嫌われることを恐れるな
誰かのためになると信じていることをしているかぎり、という注釈付きなので、これもまぁそのとおりですね。
自分が大きなVisionというもの(信念とかでもいいと思いますが)に貢献しているのなら、誰かがその行動に対して何か批判してきても、それは大したことではないと言えると思います。
そうでないから揺れる。そういうもんですよね。
あと個人的におすすめなのが、少し心に「貢献」というキーワードを持ちながら過ごしてみてください。きっと何か感じるものがありますよ。何かというのはここには書きません。ちょっとトライして実際に感じてみてください。
その他
あとなんか承認欲求全否定で、SNSに疲れた人たちからの支持が高かったようですね。
確かに行き過ぎた承認欲求というのは、あほの象徴でしかない。いいねとかインスタとか。
こういう本や権威に承認してもらって、気にせず過ごせるようになるならそれに越したことはない。
まとめ
そんなわけで今回初めて、しっかりと「嫌われる勇気」を読んでみました。
色々言われているほど素晴らしい本とも思えませんでしたが、もちろん内容は同意もしますし、いいこと書いてるなとも思います。
ただ、私の読んだのは「嫌われる勇気」という本。岸見一郎さん・古賀史健さんのアドラー心理学の理解を記したものです。けっしてアドラー心理学そのものではない。
前述の、PTSDなんかの点で少し気になって調べたのですが、ちょっと気になる批判も見受けられました。
- 「アドラーはそこまで言ってない」とか、
- 「アドラー自身の理屈につじつまが合わない、ないしは科学的でない」
といった論調です。
私もそのへん少し気になりまして、結論としましては、「いいなと思えるところだけ信じたらいい」ということです。
これも80・20の法則で言われることなんですが、本を読んであなたにとってためになるのは全体の20%ほどである、というお話。
なんであれ、頭から全部信じちゃだめです。
いいとこ取りしましょう! というわけで、私は子供は褒めて叱って一緒に育っていきます! ではまた!