生きづらいのは Why having a difficulty in life
皆さんは、今まで生きてきて生きづらかったですか? 生きやすかったですか? 私は昔かなり生きづらかったです。いろんなタイプの生きづらさがあると思うのですが、今回は、Kusunoko-CIが長いこと苦しんだ「ストーリー仕立ての」生きづらさというものに焦点を当てながら、じゃどうやってそのストーリーを克服していくのか、そんな話をしてまいりたいと思います。
生きづらい 種類
これは一概に言えないと思うんですが、病気であったり、先天的に障害があったりすればそれは本当に生きづらいと思います。私以前、近所のコンビニで店長さんの子供さんがレジにいるのを見まして、「お手伝いかい? 偉いねー」と声をかけたところ、「ちょっと障害がありまして」とその店長さんに返されたことがあります。生きづらいというか、障害のある方にとっては生きていくだけでも大変ということがありますから、私も一児の父としてそれはそれは胸に来るものがありました。
今回の話題になっているのは、そうした本当に生きづらいということではないです。信じられないようなトラウマということでもありません。ただ、本当に、いろいろ考えすぎて生きづらいなーという程度のものです。すみません、あんまりお役に立てないかもしれません。
生きづらい なぜ
私が今回語りたいのは、「ストーリー仕立ての」生きづらさ、つまり与えられた情報から、あることないことを想像力豊かに「ストーリーにして」頭の中で展開するがゆえに、その頭の回転と相まって、勝手に疲れてて生きづらいという類のものです。
Kusunoko-CI、こうした傾向がかなり強いです。もう永遠の30歳(微妙)ではないかというくらい生きづらさを感じてしまいますね。まぁ、今でこそだいぶ超越することができましたけども、それこそ10代とか、もう考えるだけで1日カロリーの90%くらい消費してるんじゃないのというくらい考えてました。考えてたんじゃないですね、良くも悪くも妄想しているわけですよね。あの人はこう言った、こう振舞った、振舞わなかった、見なかった、etc.
と「対象物や事象に意味を見出そうとするのが人間である」とはいいつつ、ちょっと行きすぎじゃないか? という生きづらさでした。
なぜ、こうなのか。正直いまだにそういう傾向はあるわけです。で、ちょっと調べてみたんですけども、いろいろネットの記事をあさってまして、たまたまこのBuzzFeedのSatoru Ishidoさんの記事でちょっと感じることがありまして今回のテーマを選んだわけです。
要約すると
- 人はストーリーを求める生き物である
- そして自ら作り出し、「納得のいく」ストーリーに振り回される
- 生きづらいな、と思ったら自分のストーリーを見直す時ではないか
こういうことを精神科医ヴィクトル・E・フランクルの『夜と霧』のお話を引用しながら述べているのですが、なんだかとても分かりやすくて、もしかしてKusunoko-CIの知り合いか? と思ったくらいですが全然知りませんでした(ストーリーですね)。
なぜか、それは人が自分のストーリーによって自縄自縛になるからです。
生きづらい世の中?
世の中が行きづらいと思ったことも多々ありましたが、こうして『夜と霧』のお話なんかを読んでいますと、自分だな、と思います。自分でストーリー作っているんだなと。
以前もお話したかもしれませんが、Kusunoko-CI、本が大好きです。小学校のころには新潮文庫とか読んでました。中学校では、劇の脚本書いたりしてました。小説を書くことに手を出したこともあります(すぐやめた)。昔音楽をかじってたころには歌詞を書いておりました。とにかくなんか頭の中でストーリーを構築して表現するのが好きなんでしょうね。ストーリーを作ることは、良くも悪くも全く苦になりません。
ちなみに↓のリンクを試してみてください。あなたの語彙力。
いかがですか? すごい独断かもしれませんが、本が好きで語彙力のある人は時に、世の中を生きづらいかもしれないんです。
生きづらいと思ったから
Kusunoko-CI、もうずいぶん前から生きづらいと思っていましたが、最近嫁にも指摘されまして、生きづらさを分析しておりました。そして、すべての情報を自分という「脚本家」の中に放り込んで、出てきたストーリーに自縄自縛になっているということに気づいたのです。これらの生きづらさは、ほかの何物でもない、自分自身から来ているのだと。
Kusunoko-CI、そもそも考えるの大好きです。であるならば、むしろこの考えられるという才能を押し殺してはいけない。むしろ考えつくしてしまえばいいのではないか。ひとつ、ストーリーを作りそれに縛られているのなら、2つ・3つ・4つと考えられる限りのストーリーを頭に描き、そこから最も気に入るものを選べば良いのです。何も考えるものが一つである必要は全くなく。できるんなら7つのアイデアgeneration (これを7 waysといいます)ぐらいまで徹底してやればいいのです。
そして、選ぶ。今我々は選択肢を持ちました。7番目くらいのアイデアはおそらく相当突飛なストーリーでしょうね。でもいいんです、根拠という意味においては最初のものだって、実はさして変わらないのですから。ここがポイントです。いずれにせよ、それは妄想。何のデータにも基づいていない、ただの私たちの感情の代物です。
まとめ
皆さんいかがでしたか? 生きづらい性格というのは確かに存在します。すいません、あんまり深いところの悩みまでは解決できていないかもしれません。今書いてて思いましたが、私はいろいろ中途半端なんで、中途半端なポジショニングになるかもしれません、全般的に。
でも思うのは、皆さんのその生きづらさ、実はとても想像力にあふれたものの結果であるかもしれないということ。そういう人は繊細だと思いますし、考えすぎて疲れてしまうこともあるのではと思います。でも、今ある才能を押し殺すより、伸ばした方が絶対いいですよ。この国は、出る杭は打つけど、突き抜けるとわりと受け入れますからね! 突き抜けていきましょう!