夢を見よう! 脳と夢と「夢」
Let’s have a dream! Brain, dream and “dream”
皆さん初夢はご覧になりましたか? 1月1日の夜寝たときに見る夢が初夢というんだそうですね。日本人なら昔から「一富士二鷹三茄子」なんて言いまして、縁起のいい夢ってのは富士山、鷹、そしてなぜか茄子が出てくるといったもんです。最近の事はわかりませんが、Kusunoko-CIが子供の頃はまだこんなことがよく言われてました。
さてそこで今回は、この初夢と夢全般について、そして未来における「夢」とかそういうことについて考えてみたことなんかを書いていこうかと思います。テーマは基本「夢」であります。
初夢について
何で今回夢なんてことを書こうかと思ったかといいますと、1月1日から2日にかけての夢(いわゆる初夢)が、なんか妙にリアルで朝くっきり覚えていたからです。
内容をざっと言うと、まず前の職場の上司(設定では今も上司)に、今やってるProjectは全く意味がないからやる必要はない、すぐに中止しろと言われます。で、今のチーム(これはなんだかよくわからない人たちがいっぱい)で相談しようとするのですが、全然まとまらず。紆余曲折あって最終的に、(現実での)今の上司にあうことができて、問題ないから続けるように、そういうこと(意味ないとか言われたこと)は気にしなくていい、という言葉をもらってほっとする、というような内容でした。
なんかつい夢診断なんかしてしまいそうですね。初夢だし。“過去にとらわれず、今あることに集中すればいい”、なんてメッセージをもらったのかしら、とか考えてしまいますが、夢には全く意味はないことが、残念ながら最近の研究でわかってしまっていますね。
一富士二鷹三茄子
しかし日本人のこの「一富士二鷹三茄子」はどこから来たものなのか、少し気になりませんか? いつもお世話になっておりますWikiさんに聞いてみました。諸説あるようですね。
- 徳川家縁の地である駿河国での高いものの順。富士山、愛鷹山、初物のなすの値段
- 富士山、鷹狩り、初物のなすを徳川家康が好んだことから
- 富士は日本一の山、鷹は賢くて強い鳥、なすは事を「成す」
- 富士は「無事」、鷹は「高い」、なすは事を「成す」という掛け言葉
江戸時代初期には成立していたようで、当時すでにいろいろな文献にこうした記述がみられるとのこと。私的には、3番4番目あたりが一番日本人らしいなと思うのですがいかがでしょうか? 「無事(富士)に高(鷹)い志を成す(茄子)」というVisionが夢に出た、みたいな。
こういう4番目の語呂合わせって、お節料理をみていても出てきますしね。紀文さんのWeb pageだと黒豆はまめに元気でと願いを込めて、昆布は喜ぶのこぶと重ねてなんていうのが出ています。それ以外でも、お節料理に出てくるものは何かしらおめでたい縁起のいいもばかりというのは、小さい頃よく聞かされたものでした。
おめでたい時に「いい言葉」を使って、この新しい1年を良い年にしていきたいという思い。日本には「言霊」という考え方もありますし、よくわかります。なんにせよ、いい言葉を使うというのはとても大事なことです。
夢とはなんなのか
しかしながら、夢というのは残念ながらコントロールは不可能です。最近読んだ『スタンフォード式 最高の睡眠』にも書かれておりました。少なくても現状の科学では。見たいからと言って、何か見れるものでないことがはっきりわかっているようですね。Kusunoko-CI、小さい頃は枕の下に見たい夢に関わる写真とか絵とか入れたりしましたが、全く意味なかったということですね。確かに見れた記憶もない。
そもそも夢とは。
日本睡眠学会理事・江戸川大学社会学部人間心理学科、福田一彦教授曰く、
「脳にしまわれている過去の記憶の中からたまたま表れ出てきたものが結びつき、ストーリー化されて夢となる。数ある記憶の中からどれが掘り起こされるかは、その時々の精神状態やストレスなどの影響を受けることもありますが、ほとんどの場合はランダムです。昨日の記憶と5年前の記憶が突然結びつくことだってあります」
とのこと。ランダムにつなぎ合わせた記憶のパッチワーク、それが夢の正体です。
さらに「脳生物学的に言ってしまえば、脳の活動の単なる副産物でしかない」(deplayさん、強調Kusunoko-CI)のが夢であるという見解もあって、何とも夢のない話ですね。
我々の脳は、我々が気づいているいないに関わらず、いつも信じられないくらい大量の情報を取り込んでいます。眠ることで体を休め、情報もいろいろ整理しないといけないのでしょう。そしてその時にいろいろとノイズというか、意図せぬ「ストーリー」のようなものが出来上がる、それが夢であるというところでしょうか。
しかしながら、それはまるで、演奏前に弦楽器や打楽器のチューニングを合わせていくとき、少し外れた音を出さざるを得ないような、それでいてこれから演奏が始まるという情景に臨場感が高まっていくような、そんな感覚に似たものかもしれません。そんな風に考えると、夢をただのノイズと言い切るには、少し惜しい気もしてきませんか?
夢とスピリチュアル
いわゆる夢占いとか、そういうものも意味ないと言われていますよね。いや、夢占いがそもそもスピリチュアルなものを判断根拠にしているわけで、そもそも科学的な根拠を求める自体がナンセンスなのかもしれませんが。
Kusunoko-CI、実はどっかで信じてたりします。夢に出てくるとかそういうの。昔、死んだ飼い猫が夢に出てきて最後のあいさつにしてくれたくらいで、なんとも否定しきれない、いやむしろちょっと積極的に信じてたりするのですが。
わかってきているとは言え、まだまだ未知の部分が多い脳科学。あるいは睡眠に関してだって、これからの研究が待たれる部分がかなりあります。私的には、もう少し研究が進むと、もっと面白い話も出てくるのがこの脳の、あるいは夢の領域ではないのかなと密かに期待しております。
ついでに言うと、私は人知を超えた存在というものの存在を否定するのは、とても危険だとも思っています。これがいわゆる信仰心で、いい人生・いい運命を生きるカギになるというのは以前もお話ししました。
夢と”シンギュラリティ”
夢が情報処理中のノイズであるにせよ、我々の意識と無意識のはざまで、脳がなにか整合性を取ろうとしている結果であるとも言えます。
我々の意識が世にある現象を「見出し」、意味付けをしていく過程が個々人に固有の人格です(ブリーフシステム)。そして生物として、誰しもが持っている記憶の蓄積場は本能に近い脳の部位です(海馬・偏桃体)。それらの部位間でのやりとりが、寝ている間に起こっているのが「夢」ですよね。そしてそうしたやりとりが情報の「ノイズ」の発生源であるならば、個々人の脳が個別に機能しなくなった時というのは、何が起こってくるのでしょうか?
私がシンギュラリティに期待しているのはまさにそこで、我々が大きなクラウドのようなものと接続し、意識がそうした集合(データベース)へとアクセスをするようになった時、我々の持ついわゆる「ノイズ」はどういう変化を遂げるのか。あるいは我々は、そもそも世界をどう見ていくのでしょう? 記憶を脳の外部に保管しておけるようになったとき、表層意識とのやりとりにはどんな「ノイズ」が発生していくのか。もう楽しみで楽しみで、私は早く私の脳が「世界」とコネクトできたらいいなと考えています。何か無限の未来を感じませんか? 夢のある話じゃありませんか!
まとめ
というわけで今回は、初夢から夢、そして人の意識とシンギュラリティまでお話を広げてみました。私はなんでだかわかりませんが、この夢というものにまだまだ可能性があるような気がしてならないのです。人の脳が、何か外部コンピューターのようなものの助けを借りて拡張していったとき、人類はまたさらに大きな新しい領域に踏み込めそうな気がして、そのわくわく感がたまらないのです。
2020年、今年が科学発展においてどのような年になるのか。小学校でプログラミングを学んだ子供たちは、どんな社会を作っていってくれるのか、期待に胸を膨らませるKusunoko-CIでした。今回は夢みたいなことをお話する回でした! と締めくくろうと思います。