トラウマがあること、それでもなお幸福になること

Trauma and to be happy.

皆さんこんにちは。毎日お仕事お疲れ様です。

今日も一日中駆け回って、projectのお手伝いです。

うまく実行できているチームもあれば、そうでないところもあり。限られた時間の中で、なにができるか考えております。

さて、前回かの有名な「嫌われる勇気」を読んで、トラウマという言葉に反応した私です。そんなわけで今回のテーマは、トラウマです。しかし、ただのトラウマ研究では終わらない! はず。

トラウマとは

最近は誰でも使うトラウマという言葉ですが、いったい定義はどうなっているのでしょう?川崎沼田クリニックさんという、 精神科 心療内科のホームページを見てみました。

トラウマ(trauma)は精神医学では心的外傷と訳され、元々は火事や水害などの自然災害、戦争、犯罪、事故などあるイベント事が心に影響を及ぼしたときに使われる用語です。

心的外傷という訳語がありますね。心が外から受けた傷です。

さらに、

元来は、トラウマとは上記のような自然災害のように一回や限定的でわかりやすい事象をトラウマと呼んでおり、いわゆるsingle traumaのみを心的外傷の主な対象としていました。しかし現在は上記のようなものに加え、暴力・いじめ・各種のハラスメントなどに代表される「潜伏性」・「頻回性」・「長期性」を持つ心的外傷を、複雑性トラウマ(complexed trauma)として分類するようになりました。そしてこの複雑性トラウマは、いずれも人間関係に由来するトラウマという点で共通しています。

ということで、この最後の人間関係由来というあたりが、なんとも生々しく心に触ります。

いじめ体験

かく言う私もいじめられっ子。

小学生の頃、いじめにあいました。10歳か11歳くらいの頃でしたでしょうか。

まぁ辛かったですね。クラス全員から攻撃されましたから。

登校拒否とか、そういうことは許されない時代で、意地でも学校に行きました。行かされました。

期間にして1年くらいだったんでしょうかね。子供にとっては、耐えがたいほどの期間ですよね。

あれから30年以上たちまして、今でこそ日常気にせず暮らせていますが、30過ぎくらいまでは夢に出てきました。

最近はさすがに、年のせいか物忘れもひどくなって、思い出さなくなりましたけれども。加齢もある意味ラッキーです(笑)。とくにフラッシュバックや、動悸、うつ症状というものも、今は出なくなって嬉しい限り。

ただし、当時辛い生活の中で、不運なことに培ってしまった思考回路(シナプス)は、未だ健在です。考え方の根幹として、残ってしまったと言っていい。

まさに負の遺産です。

いじめられっ子のMind set

先日同僚と話していて気づいたんですが。

正直、いじめそのものの記憶は消えているんです。ただし、考え方というものが染みついてしまっている自分。そこに気が付いてちょっと驚きでした。

例えば、以下のような感覚。

「何か自分に落ち度があったから、いじめられた」

理由があったからいじめられた。でなければ、いつでもそうしたことがまた自分に起こる可能がある。避けるためには、「落ち度のない自分で、あり続けなければならない」。

もし何か理不尽に怒られたり、責められたりすることがあったら、「それは基本、自分に落ち度があったからであり」、「直していかなくてはならない」。

他人がいじめられていたとしても、「それはその人にも理由がある」。

理由のないいじめを容認することはすなわち、理由もなくいじめられたことが、この先も起こることの可能性を、認めることに他ならない。

したがって、とりあえず他者から(何であれ)何か言われる(怒られる・怒鳴られる)ことがあれば、自分が悪いと思うところから始める。Default settingがそれ。

自己肯定感の真逆をいつも行く思想

ですので、基本人とのコミュニケーションは避けようとします。なぜなら減点があることが、将来的に危険なことだからです。

「他人は敵」

他者とは悪意の塊で、常に自分を攻撃しようとしている。そのような基準に基づいて人を、見てしまう傾向がある。

なので、善意というものが信じられないし、むしろ人と交わらず、一人でいた方が、断然居心地がいい。

本当に信頼できる人を除いて、できればなるべく付き合いは避けたい。上の話にもつながっていきますね。

対人関係

なので、そもそも対人関係をうまく構築できない。

なぜなら他人は敵か、あるいはいつか必ず自分を攻撃する(いじめる)存在になる、と思っている節がある。

コミュニケーション、SNS・メッセージ系

挨拶スルーや既読スルーなどは、なにか意図があって為されている。これも基本他人がいつも何かしらの意図(悪意)をもって自分を見ていると思っているからですね。

スルーしているのは、こちらが何かしたがゆえに、相手が怒っている、嫌がらせをしていると考える。

SNSでも同様に、他者の投稿やコメントに意図を見出そうとする。悪い意味で。自分が悪いことをしたようなストーリーを、上手に自分で作っていきます

自分の価値

いじめられるということは、自分に価値がないということ。
なので劣った自分が大嫌い。自己否定感から始まるすべての思いや行動。書いててなんか悲しくなってきますね。

 

ざっくり上げてもこのくらいかな。

もちろん今は、こんな気持ちの中に生きてないですが。でもまだ傾向があることに気がついたんで、驚いたわけです。

とにかく、何があってもまずは自分を責めるところからと刷り込んでくれた、いじめ経験

おっさんもびっくり、意外と根深い。

罪深いですな。

いじめ克服

まぁいろいろ紆余曲折はあったけれど、今はハッピーです。これははっきり言えます。

何が言いたいかというとね、トラウマはある。確実にある。

アドラーさん(いや岸見さんかな?)、あなたは間違っている。こういうものはある。原因があるから現状があるんですよ。

でも、あるからと言って、とらわれて生きるのが正しいとも思わない。なので、過去の経験をどう見るかで、人生は変わるというのもわかります。まぁある意味一般的な常識でもある。

私のトラウマは、戦争・事故・犯罪・天災などというモノに比べれば、かわいいものです。

でも、確かにあった。

それは、今はおかげさまで、いわゆるフラッシュバックや、うつ病を引き起こすほどのものではない。ないけれども、いまだ人間関係の構築に無意識的にせよ影を落とすもの。思考回路の一部を決定しているもの、なんですね。

一度得た神経回路の再構築ほど、手間のかかる作業はない。

まぁ、手間はかかるけど、できないことではない。私のレベルの話なら。

なので、これもまた私の人生の、持って生まれたもの。きっとこれらに対処しようとする中で、悩み・学び・育ち。成長するためのきっかけや理由、動機になるんでしょう。実際にそうなってきましたしね。

そしてそれを、今まさにそういうことに悩まされている人たちが、長いトンネルを抜けられるようお手伝いをする。私はきっと、そういう星の下に生まれたんだと思います。VisionとMissionがここにつながっていきますね。

なので、正直今はそういう経験にも、感謝の気持ちがわいています

感謝

色々文献を調べてみても、これが正しい道のようです。たぶん。

私は、こんなもの書いていますが、医者でもなければ、カウンセラーでもない。

なので、ここに書いたことを、すべてのトラウマに悩まされる人が実行可能とも思いませんし、残念ながら尋ねられてもやり様もわからない。
とは言え一つだけ言えることは、自分を否定することから、なにかを生み出して行くことは、ほぼ不可能に近いと言うことです。

捉われた心は、誰によって捕らわれたのかと言えば、それは最終的には自分。他の誰も、直接的にあなたを変えてあげることはできないですし、しないでしょう。

変わりたいなら、変えたいなら、自分がそこの気持ちをしっかり持つことです。

そのうえで、必要であれば心療内科に通ったり、カウンセリングを受けること。

世の中には、そういうこととは無縁の、恵まれた人たちがいます。彼らの人生は、いい人にばかり恵まれ、自分を卑下する必要がまったくなかった人の人生。我々のものとは違いますね。

でもみんな違う。

なので他者と比較することはやめて、自分をまるっと肯定しながら、前を向いていけたらいいのではと思います。わかりますよ、言うほど簡単ではないですが。時間も必要ですし。

そうすることが、他者や社会への貢献になっていき、ひいては自分の幸福度というものにつながっていくのではと思います。

生きているって素晴らしいって、思えるといいですね。

まとめ

先日友人とご飯を食べていて、自分の人生を語り合っているとき、自分がいまだにどういう思考回路で世界を見ているかに気づきました。

それはまさに、いじめ時代、あるいはそのあとの何十年間をかけて、育て上げた思考の結晶です。そう簡単には変わらないでしょう。

だって今の今まで、自分がそういう回路を持っているということも、忘れていた、ないしはまったく気づいていないほど、ナチュラルに心に入り込んでいた。

いじめのことを何十年かぶりに話してみて、ようやく気が付いたのですよ。回路がある、と。

しかしながら、多くの精神的向上のための文献や、こうしたアウプットのおかげで今思うことは、「気づけて良かった」です。

それがカイゼンの第一歩。「現状把握」です。どこに問題があるかがわかれば、改善のやりようがあります。

そして今私が思うことは、トラウマを気にするよりも、他者貢献をテーマにしたほうが、何倍も幸福度が高くなるということ。そのことを、少なくとも今の私は知っています。前を向いて行けるわけです。

そしてきっと、こうした経験を使って、今困っている人の救いになることができるのでしょう。

それが私の生きている意味なのではと思います。

アドラーさんは「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるのだ」と言ったといいます。

自分たちで与えてあげたらいいんですね。私はこのことに気づくのに、50年近くかかりましたよ。

ではまた!

トラウマ克服に非常に役立つ、かなりの良書らしいです。ただし、読むにあたりフラッシュバックなど、注意が必要とのこと。事例は読まずに、解決策のみ読むのもありだと思う。

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