いかに「よく生きるか」
How to live well.
今回ちょっと【閲覧注意】です。もし今すごく落ち込んでいるなら、読まない方がいいかもしれません。

みなさんこんにちは! Kusunoko-CIです。みなさんは日々を大事に生きてらっしゃいますか? Kusunoko-CIは、恥ずかしながら時々そうでもないです。こないだも、ひどい二日酔いで、半日つぶしてしまいました。なんともいかんですね。そんな折こんなサイトを見つけ、考えさせれてしまいました。
これを見て結構思うところが出てまいりました。挫折を乗り越えていたころの、いろいろ過去の自分を振り返ったりしつつ。そこで今回は、いかに「よく生きるか」ということをテーマにお送りしたいと思います。
私たちの余命
はい、このサイトの説明からですが、
厚労省の正式な年簡易生命表というデータです。最新版の平成27年のデータを使用して、あなたの正確な平均寿命を計算して寿命カウントダウンタイマーを生成しています。
との説明がありまして、かなりセンセーショナルですね。
いかがですか? みなさんやってみましたか?
Kusunoko-CIは、ざっくりですけど、もうあと35年くらいしか残ってない計算になります。もう生きた年数のほうが残ってる年数よりも多くなってます。いわゆる人生のターニングポイントはとっくに過ぎた感じですね。うーん、もう半分残ってないのね。としみじみ。
皆さんあと何年ありましたか? もちろん、これは平均的なデータを使っているというだけで、正確に私が35年後に死ぬということを表しているわけではありませんし、その逆に何か天災や事故など不慮のことで、今日とか明日ぽっくり逝ってしまうかもしれない。こればっかりはわからないですからね。

カウントダウン
なので、本質というのはそこにはなくって、皆さんの中にはもう気づかれている方もいるかもしれませんが、そうです、この1秒ごとの「カウントダウン」にもっと深い意味があるんですよね。
これはすごくシンプルな理屈なのですが、我々の寿命は有限で、いずれ早いにせよ遅いにせよ終わりが来ることは、どんな人間であれ確実に決まっています。私が中学校の時の国語の先生は、「人間は生まれた瞬間に、死に向かってのスタートを切ったといえる」と言っていたことがあります。当時は、「ふーん」としか思ってなかったですけど、まぁ事実ですね。
それでこのカウントダウンを、じーっと眺めていた時に、「減っていく」、と感じました。いやあたりまえやん。いやそうなんですけど、本当に「あー減っていく!」と思ったんですよ。一秒一秒、また一秒。ずーっと見てると、なんだかすごい気分になってきます。確実に一歩ずつ死に近づいてるなーと。

死・生きる意味、についてではなく
Kusunoko-CI、その昔、生と死について、信じられないくらい考えたことがありました。生きてる意味とかすごい考えまして。考えた挙句ちょっと精神的にまいってしまったんで、あんまりお勧めしないですね。
何千という患者を看取り、死への精神的到達過程を表した、『死ぬ瞬間』の著者、精神科医のキューブラー・ロス女史も、晩年自分の死の前にはいかに自分の研究が無意味であったかを語り始めた云々というのは、かなり悲しい現実であります。
さて、今回はそんな生きる意味とか、そういう壮大なことには触れません。それは誰にも解き明かせないことだし、わからないことを論じても意味がないですからね。
ただ、我々は心のどこかでこの生にも終わりが来る、そしてそのカウントダウンは毎秒毎秒のペースで、ゆっくりしっかりと働き続けているということを知っておかなくてはいけないと思うのです。
人生は限られている。そう自覚するところから、我々の(死ではなくて)生を捉えなおさないといけないと。私たちが気にしたり、思い悩んでしまったりすること、おそらく大半の人は過去や他人という変えられないものをずーっと考えてしまって、集中出来なかったり、嫌な気分になったり、時には心を病んでしまったり。
あるいは、何か新しいことを始めたいのに躊躇したり、人目を気にしたり、失敗を恐れてアクションを取らなかったりして無為に時間を過ごしてしまうこともあるかもしれません。
考えてみてください。今余命カウンターを見ればわかりますが、他人のこと気にしてる暇、ありますか? あるいは失敗を恐れてできることをやらない時間、ありますか? そうなんです。ないんですよ。そんな贅沢なもの我々は持っていないんです。今こうして、このブログを読んでいる瞬間にも、あなたに時間はカウントダウンを続けています。なくなるものなんですよ、時間は。だからこの一瞬一瞬に何か行動をとっていかなくてはならない。あるいは、変えられるもの=自分と未来にのみ集中して思考を使っていかなくてはならないのです。
死とか生きる意味が気になる気持ちもわかりますが、そのことを考えてもあまり建設的にはならない。むしろあまりに無力な自分の力や運命に打ちひしがれてしまうことの方が多い。実際そういうことから命を絶ってしまった友人もいました。
死は、他人と過去と同じで変えられないものです。そして生きる意味に関しては、誰にもわからないものを考えたところで、「自分なりの答えを」という話に行きつくのでは、というだいたいの予想もついてるんじゃないですか? ただそれを考えることで、実は自分の価値というモノを何とか探し出そうとしているのではないですか? 見つかりそうですか? 自分の価値。無理っぽいでしょ? それは結局誰か、あるいは何か別の物差しで自分を測ろうとしているからですよ。

死ぬまでにしたい100のこととか
よくネットでも、死ぬまでにしたい100のこととか、10でも15でも何個でもいいんですけど、出てますね。いくつ達成したとか、後で書き足すとか。Kusunoko-CI、元気だなーと、あと20年若かったら、こんなふうに主に「外への体験型」リストを作ってたかもな、と思って眺めてます。
もう若くない。6割がた人生終わって、あんまりどこかへ行こうとか、珍しい体験しようとか思わないです。これはこれで人生のステージの変化や、独身から家族持ちになったりで変化があってしかるべきものだと思います。
で、今の私が死ぬまでにしておきたいこととして考えるのは、自分のCore Valueを満足させるための物事をしたい、という感じになるかなと思います。
Core Valueについては以前もお話しましたが、現在
- 家族
- 健康(これつけ足した!)
- Human Development
- Earning
- 感謝と信仰
- 信念
とご紹介しました。基本、すべての行動を、一日86,400秒を、これらのことに付加価値や益をもたらすことのみに使いたい。そして使うよう努力しています。これを『Think clearly』の著者、ロルフ・ドベリ氏は、『尊厳の輪』と呼んで、自分がそうしたことにコミットすることの重要性を説いています。
それほど簡単なことではないかもしれませんが、少なくとも、自分が何を優先し、必ず守らなければならないことが何なのかがわかれば、生きるのはかなりシンプルになります。
積み重ねる
結局のところ、自分が何を大事にしていくのかというCoreがないからブレるのです。わかりますよ、そんなものなくても、若い時・調子のいい時は何とかやれてましたよね。でももうあんまり若くもないんですよ。周りを見渡してみても、ちょっと置いて行かれた感とか感じてしまったり、なんか人生無為に過ごしてしまったかもしれないとか、そろそろなんとかしないと実はやばいんじゃないかとか。
そうした思いは、そして残念ながら間違ってないです。だからと言って、誰かの物差しで今更自分を測ろうともがいてみても、そもそも好んで違う道を選んできたんだから、全く意味はないし、かえってみじめになるだけです。
今しなければならないことは、自分に価値を見出すこと。その方法は、自分のCore Valueを持って、それにコミットしている自分を、自分自身に見せていくことです。少しずつ少しずつ。そうすることで誰かのものではない、自分が価値があると思えるものを大事にする自分というものに価値を見出していけるようになるのです。
はい、時間はかかりますよ。でもそれが一番です。そして経験上唯一の方法です。そうすれば道はゆっくりと開かれていくから、心配しないで。

まとめ
いかがでしたでしょうか。人生のカウントダウンと「いかに良く生きるか」。我々が過ごすこの一瞬、文字通りの一秒は本当に貴重です。そしてこの貴重な貴重な一秒を、意味のないこと(他人や過去)にダメにさせないでやってください。私たちの「貴重」を、私たちが「貴重」だと思うことに費やしていく。そうすることが最も価値ある「よく生きる」方法ではと思います。この記事を通して、今なんとなく道が見えずに苦しんでる方に、少しでもよく生きるためのヒントがお見せ出来たらなと思います。Where there is a will, there is a way.